【貧乏ごっこの起源】モノを「与えられない」教育(≠モノを「与えない」教育)

⑤貧乏ごっこ - 1.思考編

今回は、私の『貧乏ごっこ』(超倹約家)の起源について書きたいと思います。

子供を超倹約家に育てたい方、必見です。
今後、『貧乏ごっこ』シリーズとして、倹約術やお金の話について記事を書いていきます。

はじめに:人間が育つ環境の影響は非常に大きい

私は超倹約家です。

何故ここまでの倹約家になったのかを真面目に考えました。
その結果、「生まれ育った環境の影響が最も大きかった」という結論に至りました。

私は平凡な家庭に生まれましたが、生まれ育った環境は少し特殊だったと思います。
その『特殊』は、良いとは言えない意味を成すことが多かったです。

当時の私は視野が狭く、ある程度恵まれているにも関わらず、生まれ育った環境を恨み、ストレスを感じることが多かったです。
その結果、ひねくれたまま大きくなってしまいました。
故に、行き過ぎた倹約家になってしまったと考えています。

今回は、私の金銭感覚に大きな影響を与えた2つの話について書きたいと思います。
両方とも、当時の感情を交えながら書くので、少しだけ毒づきますが、ご了承ください。

なお、当時の私にとっては全てが理不尽でしたが、その逆境を乗り越えた今は美談とすることが出来ています。
少しだけ毒づきますが、育ててくれた親族には感謝しかありません。

『見栄っ張り』な親戚が最大の反面教師

過去の記事でも記載しましたが、
私の母方の親戚には『見栄っ張り』の人間が多く、私は幼いながらにその背伸び思考に大きな疑念を抱いていました。

「私の誕生祝い」と称して、巨額のローンを組み、見栄の塊とも呼べる小さなビルを建設するような人間でした。
私はその愚かな親戚たちを反面教師として生きてきました。
参考:【見栄っ張りに注意!】欲は身を滅ぼすという話

この話は、他人事なら笑い事ですが、
当事者からすれば全く笑えず、本当に許されない話です。

幸いにも、現在はそのビルの権利も負債も全て別の親戚の手に渡りました。
もしも、私にその負債が降りかかっていたら、私は先祖の『見栄っ張り』に一生苦しめられ、先祖を一生恨むこととなったでしょう。

幼い頃からその負債が降りかかって来る心配をし続けていたため、私は『見栄っ張り』による立派な被害者であると考えています。
本当に大きな不安とストレスでした。

ビルの建設から30年経っていますが、未だに数千万円の巨額ローンが残っていると聞きます。
巨額ローンの利子はまさに地獄です。ローン返済のために生きなければなりません。
そんな人生、他人のために生きているも同然です。
身の丈に合わない巨額ローンは、控えめに言ってクソです。

この経験から、
私の最大の反面教師は『見栄っ張り』な親戚となりました。

そして、親戚の『見栄っ張り』な行動にストレスを感じすぎたせいか、行き過ぎた思考となったのです。

私は、「身の丈に合わない裕福な生活をし、金持ちだと思われて生きることが正義だ」と考える『見栄っ張り』とは真逆で、「身の丈に合わない質素な生活をし、貧乏だと思われて生きることが正義だ」と考えています。本気です。

『見栄っ張り』は常に比較競争レースの中心にいます。
よって、『見栄っ張り』は『見栄っ張り』を呼び続けます。この浪費ループは、控えめに言ってあほです。
私の親戚は、親戚内でもこの浪費ループを加速させていました。

『見栄っ張り』の比較競争レースから降りて質素に暮らすだけで、『見栄っ張り』人間との付き合いも減り、人生が豊かになることは明らかでした。

これが、私の『貧乏ごっこ』の入り口でした。

良くも悪くも、『見栄っ張り』人間の影響力は大きい

モノを「与えられない」教育

私の父は「お金にうるさい人間」でした。

おそらく、私と同じように母方の親戚の『見栄っ張り』行動や巨額ローンにストレスを感じていたのでしょう。
お金のことを口にするだけで、怒るような人間でした。
私にも『見栄っ張り』の血が流れているため、私が『見栄っ張り』に育つことを危惧していたのかもしれません。

ただ、父は「お金にうるさい人間」なだけで、お金の知識は全くありませんでした。
一般教養もあまりなく、お金の勉強もせず、ただただ「お金を守るだけの人」だったのです。

私は、そんな父から、モノを「与えられない」教育を受けました。

子供のしつけのために計画的に行う、モノを「与えない」教育とは違います。
ただただ、知識がないために「与えられない」だけでした。理不尽なことが多かったです。

結果的に、私はその理不尽な教育を大きなプラスに活かすことができました。
しかし、「与えない」と「与えられない」では本質が大きく違うと考えています。
計画的なモノを「与えない」教育は良いですが、無計画なモノを「与えられない」教育は良くありません。

父は頑固な人だったので、
『欲しいモノ』を交渉しても、議論すらせず、頭ごなしに却下されるだけでした。

特に、当時の私の頭を悩ませたのが、インターネット問題でした。

我が家は、2000年代に入っても自宅にインターネット環境が整っていない、時代遅れな家でした。当然、パソコンは1台もありません。
私がインターネットの将来性や情報収集の重要性について語り、インターネットの導入をお願いしても、頭ごなしに却下されるだけでした。
「そんなに欲しいなら自分の小遣いでやれ」と怒られました。

その対応に腹を立てながら、
私は「中学校に上がったら自分でパソコンを買い、自宅にインターネット環境を整える」と決心し、小学校高学年の時から本気で貯金をはじめました。

貯金の目標金額は20万円でした。
15万円でノートパソコンを買い、5万円を当面の通信費に充てる計画です。

小学校時代、お小遣いは学年×100円/月(6年生時は600円/月)でした。
親戚はそれなりに多かったので、お年玉が大きな収入源でした。
毎年、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントはもらえたので、計画的に欲しいモノを頼みました。

サッカークラブの帰りに友達みんなで駄菓子屋に寄るのが習慣でしたが、ブタメンを美味しそうに食べる友達を横目に、私はうまい棒や鈴カステラだけで我慢しました。
サッカーボールもスパイクも練習着も、新しいモノを買う資金がないので、大事に大事に使いました。
とにかく、質素倹約でお金を使わない生活を続けていました。

そんな私の姿を見て、優しい母はこっそり、テストで100点を取るたびに100円をくれたのを覚えています。
100点でなければ1円も貰えないので、勉強も頑張りました。

そして、ちょうど中学校に上がった頃、目標であった20万円の貯金が貯まりました。
この時のことは今も忘れません。

近所のジョーシンで東芝のノートパソコンを買い、4,980円/月のYahoo!BBのADSL(懐かしい、、、)の契約を自分で行いました。
インターネット導入の際、想定外の手痛い工事費も取られたことを鮮明に覚えています。

中学校に上がってからはお小遣いも5,000円/月に上げてもらいましたが、それでも通信費だけで全てがなくなる生活でした。

お小遣いでは生きていけないので、自分で小遣いを稼ぐことを覚えました。そうせざるを得なかったのです。
後日、別記事で詳しく書く予定です。
参考:【趣味で稼ぐ】クワガタの販売で生計を立てた学生時代 ※近日公開予定

周りが携帯電話を持ち始めた頃、携帯電話の通信費の交渉を行いましたが、ろくに話も聞いてもらえず頭ごなしに却下されました。

友達は当然のように通信費を親に支払ってもらっていたので、みんなのことが羨ましくて仕方なかったのを覚えています。

高校に上がる直前、自分で携帯電話を契約しました。
私は携帯キャリア各社のプランを徹底的に調べ、『メール送り放題』の条件で当時最安であったドコモのタイプSS バリュー約1,500円/月(途中で値下げと値上げあり)を大学生になるまでずっと使っていました。
現在の格安SIMと同水準の価格ですが、このプランを知っている人は少なかったと思います。

このように、お金がないため、自分で徹底的に調べて考える癖がつき、固定費削減術が自然と身につきました。

インターネット環境や携帯電話が当たり前になった現在では考えられないと思いますが、このような経験をした人は他にもいると思います。

結果として、
モノを「与えられない」教育により、私は質素倹約のコツを完全に掴みました。

モノを「与えられない」教育は、子供にストレスを与える

おまけ:姪っ子への「与える」教育

私には子供がいませんが、可愛い姪っ子(7歳、1歳)と甥っ子(0歳)がいます。
特に初めての姪っ子(7歳)は我が子のように可愛く、これまで散々甘やかしてきました。

自分の子供には厳しく教育したいと思いますが、姪っ子は別です(言い訳)。
誕生日とクリスマスはもちろん、ことある毎に欲しいモノを聞き、プレゼントしてきました。
※決して、モノで釣っているわけではありません。モノがなくとも、私にとても良く懐いています。本当です。

しかし、「与える」教育は良くないと思う事件が起こりました。

数年前の誕生日に、姪っ子が欲しいと言った「もっちまるず」をプレゼントした時の話です。

もっちまるず:ほっぺたをぷにぷにして遊ぶゲーム

プレゼントした時は大いに喜び、その当日、翌日は楽しそうに遊んでいるのを確認しました。

その約3ヶ月後、久しぶりに姪っ子の家に行った時、
もっちまるずが下記状況になっていました。

外のぷにぷに部分が全て無残に剥がされたもっちまるず

・・・。

姪っ子は、「ぷにぷにしすぎて、いつの間にかこうなってた」と言いました。

しかし、私も触ってみたので分かりますが、ぷにぷに部分もかなり頑丈なので、自然にこの状態になることは考えにくいことでした。

姪っ子は、私たちにモノを与えられすぎたせいで、モノを大切にする心が全く養われていません。
そして、「欲しいものはなんでも手に入る」と、だいぶワガママに育ってしまっているように感じます。

「与える」教育をそろそろ見直そうと考えました。

でも、
まだまだ可愛いので、難しいかもしれません。

※超倹約家が他人にプレゼントすることを不思議に思った方もいるかもしれません。
私は自分の出費に関しては徹底的に削減していますが、プレゼントは心が豊かになるので好きです。
『貧乏ごっこ』は自分の中だけにとどめています。

まとめ:モノを「与えない」教育がしたい

お伝えした通り、生まれ育ってきた環境により、私の極端な金銭感覚が養われたと考えています。

『見栄っ張り』な親戚を反面教師にすることで、比較競争レースから降りて質素に暮らすことの大切さを学びました。
そして、モノを「与えられない」教育を受けることにより、質素倹約のコツを完全に掴み、固定費削減術も経験により習得しました。

当時は共に大変でしたが、今となってはとても良い経験であったと思っています。

私はこの経験から、自分の子供にはモノを「与えない」教育をしたいと考えています。

これからもお金の勉強を続けて知識をつけ、無計画なモノを「与えられない」教育ではなく、計画的なモノを「与えない」教育がしたいです。

子供が欲しいと言うモノがあれば、頭ごなしに否定することはしたくありません。
私がとても嫌な思いをしたからです。

子供の意見を尊重し、議論した上で検討したいと考えています。
但し、基本的には「与えない」方向です。

そうすることで、一生懸命プレゼンし、様々な創意工夫をする習慣が身に付くことでしょう。
私がそうしたように、お金がない中で質素倹約を学んで欲しいと考えています。

・・・ただ、実際に子供ができたら、可愛くて仕方なくて、姪っ子同様に「与える」教育をしてしまうのではないかと、少しだけ不安です。
そうならないよう、これから姪っ子で練習したいと思います。

皆様の教育の参考にしていただければ幸いです。
子供に対するお金の教育はとても重要だと考えています。

茨城県大子町

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