今回は『うつ病』について書いていきます。
私は現役のうつ病患者です。
5年間の社畜生活で知らぬ間に精神を病み、うつ病と診断されました。
正直に申し上げますと、ストイックにバリバリ仕事をしていた時期は「うつ病は甘えだ」と考えた時もあります。
私より一足先にうつ病になった父を見て、「だらしないな」と思ったりしていました。
そんな最低最悪な考えや慢心も、大きな要因であったと考えています。
本記事では、私の経験から得た教訓について書いていきます。
私の失敗から学んでいただけると幸いです。
・うつ病と診断を受けた方
・「うつ病は甘えだ」と考えている方
・社畜生活がしんどくて仕方ない方
必見です。
本記事の構成は、下記目次の通りです。
はじめに:私のうつ病発症までの経緯
まず最初に、私のうつ病発症までの経緯について詳しく紹介します。
私は5年間の社畜生活、出世だけを目指してストイックに働いていました。
入社後、圧倒的な結果を残し、27歳で一部上場企業の管理職に昇進しました。
密度の濃い5年間で、様々な経験をしてきましたが、そのオチがうつ病です。
ストイックに生きることについては、過去記事に詳しく書いています。
参考:【副作用あり、注意!】『中途半端人間』から『ストイック病患者』へ変貌した男の話
私の年収推移とモチベーションの経緯については、過去記事に詳しく書いています。
私のうつ病発症までの経緯について、
下記9段階で順に説明していきます。
・「うつ病は甘えだ」と思っていたストイック期
・異変その1:自信喪失、現実逃避(入社5年目序盤〜)
・異変その2:興味喪失、意欲低下(入社5年目中盤〜)
・異変その3:食欲減退、体重減少(入社5年目中盤〜)
・異変その4:集中力低下、読書ができない(入社5年目中盤〜)
・異変その5:ミソフォニア(音嫌悪症)の悪化(入社5年目中盤〜)
・異変その6:不眠、早朝覚醒(入社5年目終盤〜)
・異変その7:思考渋滞、不安・焦り(入社5年目終盤)
・異変その8:興味喪失【限界】(入社5年目終盤)
私の失敗から学んでいただけると幸いです。
「うつ病は甘えだ」と思っていたストイック期
冒頭にも書きましたが、正直に申し上げますと、私は「うつ病は甘えだ」と考えていた時期があります。
医療従事者として失格です。
それは、ストイックに出世を目指し、猛烈に働いていた時でした。
エネルギーに溢れ、自分がうつ病になるだなんて夢にも思っていない時期です。
言い訳をしますと、自分を奮い立たせるためにネガティブなものには全て蓋をし、常に強がっていた部分もあります。
数年前、私より一足先に父がうつ病になりました。
あらゆることにネガティブな発言をし、どうしようもない不安や心配を口にし、周りの士気を下げることにめちゃくちゃイライラしました。
風呂に入らず、同居する姉夫婦を困らせていると聞き、「だらしないな」と思いました。
仕事においても自分のメンタルの強さを信じて疑わず、他人にも同水準のそれを求めました。
出世に悪影響を及ぼすため、一切表に出さないよう隠していましたが、完全にパワハラ・モラハラの気質を有していたのが事実です。
面談などで弱音を吐く部下に対し、表面では優しい言葉をかけていましたが、内心は「甘すぎる」と思っていました。
そんな時はアドラー心理学の「課題の分離」を当てはめ、部下の課題には立ち入ることをせず、程よい距離感で接することを心がけることでパワハラ・モラハラをしてしまうことを避けていました。
ただの放置ですが、「干渉されないから働きやすい」と好評で、それで何だかんだ上手くいってしまいました。
そんな仕事の取り組み方なので、できる限り部下や同僚に期待せず、一人プレイや少人数プレイで結果を出すことに拘りました。
その後、無事に出世して管理職に就きましたが、そこで自分の限界を知ります。
私は一人プレイや少人数プレイは得意でも、チームプレイは非常に苦手な社会不適合者でした。
管理職では、全社員の行動指針(キマリ)を決め、指示を出すことが重要な仕事の1つでしたが、それが究極に苦手でした。
徐々に責任が大きくなり、徐々に多くの人に関与する仕事が増え、一気に雲行きが怪しくなりました。
管理職だったため、残業という概念がなく、仕事をやればやるだけ新しい仕事が与えられ、日に日に仕事量が増えていきました。
業務効率化をしようにも、そんな気力もモチベーションも徐々になくなっていきます。
得意な仕事ばかりの時は激務も楽しむことができ、上手くサボれていましたが、徐々に苦手な仕事の割合が大きくなり、仕事の効率もボロボロになります。
土曜日も日曜日も終日仕事をするようになり、自分で結果がコントロールできない仕事が苦痛で仕方なく、心身ともに限界に近づきました。
異変その1:自信喪失、現実逃避(入社5年目序盤〜)
かつて「出世して会社の新しいルールを作りたい」「人前に立ちたい」と自信満々に情熱を燃やしていた自分が嘘のように、ある時を境に自信が全く無くなりました。
自分の行う仕事が全てバカバカしくなり、私の名前で全社に配信される案内書(キマリ、指示)など、全てに自信がなくなっていきます。
自分の仕事に自信がないため、自分の名前を全社に晒すのが急に恥ずかしくなりました。
人前で講義やプレゼンを行う際も、かつての楽しさは一切ありません。
かつて1位を獲得したプレゼン大会でも下位に落ち、パフォーマンスも下がりました。
全てを投げ出して自由になりたい気持ちが強くなり、この時期に『退職後にやりたいことリスト』を書きました。
「7年半で3000万円貯めて一旦FIREする!」という決意を新たにしたのもこの時期です。
完全に現実逃避していました。
異変その2:興味喪失、意欲低下(入社5年目中盤〜)
仕事の効率がボロボロで、年末も仕事をすっきり終わらせる事ができず、多くの仕事を抱えたまま年末年始へ入った時です。
例年の年末年始は仕事から解放される事ができていたため、その状況も良くなかったと考えています。
年末年始は帰省するのが習慣となっており、毎年姪っ子と遊ぶのが楽しみでした。
しかし、帰省時に姪っ子と遊んでも全く楽しくありません。
また、初詣に行くのも急にめんどくさくなり、家で留守番しました。
当時は疲労が溜まっていると思っていましたが、後から考えると明らかな異変でした。
異変その3:食欲減退、体重減少(入社5年目中盤〜)
徐々に食欲が無くなり、朝食&昼食で固形物を一切食べなくなりました。
朝は青汁だけ、昼はキッコーマンの豆乳200ml×2本(特濃とバナナ味)の生活でした。
当時は「飢餓状態で集中力がアップする」「空腹時間が長い方が体に良い(プチ断食)」と周囲に言っていましたが、ただ単に食欲が無かったのと、昼食に誰かとどこかに行く事が億劫で仕方なかったからです。
今思うと、結構やばいやつです。
当然、確実に体への変化が現れ、6ヶ月で6kg減量しました。
BMI 22.8→20.8への変化だったため、最適BMI(22)を考えると少しやりすぎな減量でした。
正直なところ、向き不向きはありますが、「飢餓状態で集中力がアップする」「空腹時間が長い方が体に良い(プチ断食)」というのはあながち間違いではありません。
朝は青汁だけ、昼はキッコーマンの豆乳200ml×2本(特濃とバナナ味)の生活はアリっちゃアリです。試してみる価値はあります。
まとめ買いが非常にお得なので、私が購入していたものを貼っておきます。
キッコーマンの豆乳は特濃とバナナ味の2強だと思っています。
異変その4:集中力低下、読書ができない(入社5年目中盤〜)
私の集中力は徐々に低下し、自己研鑽の時間に読書をしても内容が頭に入ってこなくなります。
同じ行を繰り返し読んだり、すぐ寝落ちしたり、びっくりするほど進捗が悪くなりました。
効率を求めて前年から本予約サイトのFlierを契約していましたが、それを読むので精一杯です。
自己研鑽の時間も、自分で読書することを諦め、Flierや要約Youtubeを見るようになりました。
なお、食事をとることで改善したかどうかは分からない為、前述の飢餓状態が効いていたかどうかは不明です。
もしかしたら、飢餓状態だったからこそ、少しはマシな状況だったのかもしれません。
異変その5:ミソフォニア(音嫌悪症)の悪化(入社5年目中盤〜)
私は幼少期からミソフォニア(音嫌悪症)に悩んでいました。
特定の音に対して非常に敏感となる病気で、私は(特に中高年男性の)くしゃみや咳払い、鼻をすする音、咀嚼音などに殺意を感じます。
昔よりも明らかに悪化しており、怒りや焦燥感が抑えきれなくなっていることに気づきました。
なお、ミソフォニアには治療薬がない為、音から離れるしかありません。
私の会社の同じフロアには重度の騒音おじさん(くしゃみ、咳払い、鼻をすする音のオンパレード/今こうして書いているだけでムカついてくる)がおり、耳栓やイヤホンをしても遮断できないレベルだったので地獄でした。
新型コロナウイルスの影響で出張の機会がほとんどなくなり、社内でリモートワークは進んでいなかったため、そのトリガー音の近くにいる時間が長く、最悪な日々でした。
イライラで集中力はますます低下する一方です。
常に耳栓やイヤホンをしており、空き会議室へ逃げる手段も多用していた為、社会不適合者としての道を極めることとなりました。
この重度の騒音おじさんを1度も殴らなかったことは、本当に奇跡だと思います。
もしも、このまま数年働き続けていたら、絶対にトラブルを起こしていたでしょう。
ミソフォニアについては、今後詳しく記事に書く予定です。
参考:【音嫌悪症】くしゃみや咳払いに殺意を覚えるミソフォニア
異変その6:不眠、早朝覚醒(入社5年目終盤〜)
徐々に不眠に悩まされるようになりました。
これまで、いつでもどこでも寝る事ができる人間だった為、このようになるとは思っていませんでした。
睡眠の質を向上させる手段を使っても、睡眠の質が悪く、途中覚醒や早朝覚醒をしてしまいます。
前述の通り、読書できなかったので、要約サイトで『スタンフォード式 最高の睡眠』の知識を手に入れ、睡眠90分前の入浴を日課にするも大きな効果はありませんでした。
日中もとにかくだるく、疲れやすい状態となり、昼休みは目を瞑って昼寝もどきをするなど対策していました。
しかし、日に日に疲労は蓄積するばかりでした。
異変その7:思考渋滞、不安・焦り(入社6年目)
膨大な仕事をこなすも、全てが中途半端で、「何もしていないのと同じだ」と自暴自棄になりました。
常に不安と焦りに支配され、仕事が何も手に付かなくなります。
ますます仕事の効率が下がり、上司に怒られ、自分の無能さに憂鬱になる悪循環。
限界が近づく。
異変その8:興味喪失【限界】(入社6年目)
限界が来た日、どうしても会社に行けなくなったため、有給をもらいました。
1日中、『去年まで楽しかったこと』を詰め込み、リフレッシュすることにしましたが、何一つ楽しくないことに気づきました。
完全に心が死んでいます。
毎年クワガタ観察を趣味にしており、その日にシーズン初のクワガタを見つける(例年であれば、楽しくて仕方ない瞬間!)も、「こいつ、ゴキブリと何が違うんだ?」と心が1ミリも動きません。
「自由になったら、あれもこれもしたい!」と思い描いていた『退職後にやりたいことリスト』(上記「異変その1」で記載したもの)を確認するも、全てただの文字の羅列にしか見えず、全くワクワクしません。
「完全に終わった」と思い、退職を決意しました。
私のうつ病の要因
私のうつ病として考えられる要因について列挙し、それぞれについて簡単に説明します。
私はブラック管理職でしたので、同じような環境にいる方は要注意です。
また、『ストイック病患者』や『出世を目指す猛烈社員』が陥りやすい罠についても紹介していきます。
私の失敗から学んでいただけると幸いです。
ストイックになりすぎた
私の人生において中途半端人間でいた期間が長すぎて後悔していた為、「ストイックに生きることで挽回しよう」と躍起になりすぎました。
自分を過信し、追い込んで頑張りすぎました。
正直、当時はうつ病になる前のストイック期の集中力はとても高く、何もかもが好調でした。
不調知らずだったので、「出来るときに出来るだけやろう」とアクセルばかり踏み、ブレーキを持ちませんでした。
この失敗以降、「ゆるく」をテーマにして中和し、「ゆるく」がブレーキの役割を果たしています。
集中力は今も回復せず、1日にブログ1記事を書くのに精一杯ですが、しばらくは頑張らない計画です。
つよがり、慢心
私は実の父親がうつ病にかかっており、割と性格も似ているため、「うつ病のかかりやすさ(脆弱性)」が高いと思われるにも関わらず、それを無視しました。
私より一足先にうつ病になった父を見て、「だらしないな」と否定することで蓋をしていたのです。
これは上記ストイック期のつよがり、慢心でした。
「うつ病は甘えだ」という慢心は非常に危険です。
そのような考えを持つ人が居れば、今すぐ改めてください。
苦痛な長時間労働
私は管理職になり、長時間労働をするようになりました。
正直なところ、『楽しい長時間労働』は全くストレスを感じませんでした。
しかし、長時間労働を楽しむ事ができなくなった時から、一気に大きなストレスとなりました。
『苦痛な長時間労働』ほど、ストレスがかかるものはありません。
苦痛な仕事とは、これから説明するような仕事のことを指します。
自分でコントロールできない仕事
自分でどうしてもコントロールできない仕事は、私にとって大きなストレスでした。
数人ならともかく、数百人の行動などコントロールできるはずがありません。
そんな無茶な仕事を任され、他人が上手く行動しないことで、「お前の指示が悪い」と、私の評価が下がりました。
そんな理不尽な要望に対して、NOは許されませんでした。NOと言ったら、激怒されました。
イエスマンでいる事が求められる環境だったので、私には無理でした。
上司の指示がバラバラ
直属の上司と、その上の上司の指示に従って仕事を完遂させた後、
さらに上の上司の指示で全てが覆ることばかりで、物凄いストレスでした。
その最上位の上司は完全にパワハラで、直属の上司も従うしかありません。
パワハラ上司の一声で全ての計画が変わり、2−3日が平気で潰れる環境でした。
冬季の日照時間の減少
私は社畜時代に日本海側に住んでいましたが、日照時間の減少は甘く見てはいけません。
冬の鉛色の空は、マジで気分が凹みます。
日本海側では、冬季の日照時間の短さから「冬季うつ病」の人が多いと聞きます。私も日照時間の大切さを身をもって体感しました。
冬は日光浴をしに定期的に実家に帰省したり、太平洋側に出張したりして対応していました。帰省費用の会社補助もあり、管理職になってからは自由に仕事を設計しやすかったので助かりましたが、そのような状況でなければもっと早く限界がきていたかもしれません。
新型コロナウイルスの影響による出張減少
新型コロナウイルスの流行により、出張がほとんどなくなり、気分転換できなくなったのもかなりストレスでした。
リモートワークも進んでいれば良かったのですが、全然浸透していない職場で、原則出社でした。
前述の重度の騒音おじさんによるミソフォニアに悩まされ、私にとっては非常に苦痛でした。
社会不適合者であった
そもそも、私が社会不適合者であったということに尽きます。
私は飲み会などのゴマスリ大会も苦手でした。
『飲みマナー』がなっておらず、「目上の人間への態度がなっていない」と何度も怒られました。
飲み会は時間の無駄だとしか思えず、二次会に行きたくなかったため、挨拶なしでこっそりと帰り、何度も怒られました。
そもそも、普段からまともに挨拶が出来ず、日常的に繰り返し怒られていました。
一人でいる事が、一番気楽です。
うつ病になった私からのアドバイス
うつ病になった私から、過去の自分に向けて投げかけたい言葉になります。
参考にしていただけると幸いです。
とにかく、ヤバくなる前に逃げる!病院へ行く
今思い返せば、私のうつ病の初期症状は下記のような症状でした。
・自信がなくなる
・これまでアツかった出世欲が、一気に消える
・これまで楽しいと思っていた事が、全く楽しくない
これらの感情喪失や興味喪失の異変が見られたら、一刻も早く受診すべきです。
しかし、少しずつ起こる変化であり、当事者にとっては「まぁこんなもんか、、、」と気づくのが難しいと思います。
私はこの症状を半年以上放置してしまい、悪化させてしまいました。
悪化すると、下記のような症状があらわれ、体への変化も出てきます。
・食欲減退、体重減少
・集中力低下、読書ができない
・不眠、早朝覚醒
・思考渋滞、不安・焦り
こうなってしまったら危険です。
ちなみに、傷病手当金や失業手当など、最低限の社会保障制度はあるので安心してください。
そのためにも、早めに受診して診断書を書いて貰いましょう。
正直なところ、私は早期発見できなかったことを後悔しています。
前述の通り、『去年まで楽しかったこと』をしても何一つ楽しめない心になり、
「自由になったら、あれもこれもしたい!」と思い描いていた『退職後にやりたいことリスト』も、全てただの文字の羅列にしか見えず、全くワクワクしませんでした。
一度、完全に心が死んでしまいました。
このことについて深掘りして別記事にまとめました。興味がある人は読んでみてください。
参考:【早期発見が一番】うつ病は、全ての希望を壊す【健康なうちに逃げろ!】
今は徐々に回復していますが、それでもなお、完治には程遠いです。
『退職後にやりたいことリスト』を、ワクワクする健康の心のまま実施する事ができれば、どんなに幸せだったかと思ってしまいます。
だからこそ、ヤバくなる前に逃げるべきです。
1つの指標は、『楽しい』という感情だと考えています。
これまであった『楽しい』という感情が消失してしまえば、その時点でヤバイです。
手遅れになってしまえば、その感情はしばらく帰ってくる事なく、モノクロの世界を生きている感覚になります。
半年前に受診し、早期発見できれば、うつ病による苦痛は和らいだと後悔してしまいます。
しかし、その後悔もまた憂鬱になります。
なので、あまりネガティブなことは考えないようにしています。
頑張りすぎず、少しずつ周囲の期待を裏切る
ストイックに頑張りすぎる人は、周りの期待に応える事が正義だと捉えがちです。
私もそうでした。
常にビックマウスで、上司を中心とした周囲に宣言し、期待をさせ、それ以上の結果を出す事で自分を満たしてきました。
出世をする上ではとても効果的でした。
しかし、いつしか、期待に応える中毒になっていました。
気付いたら立場もあり、後に引く事ができず、自分を大きく苦しめました。
若いうちにストイックに頑張ることは、自分の限界や適性を知るためにも良い事ですが、永遠に続けられるものではありません。
長期視点を持ち、力を抜き、少しずつ周囲の期待を裏切ることも大切だと考えます。
強がったりすることもあると思いますが、肩の力が入っている時ほど、「ゆるく」生きましょう。
まとめ:うつ病は甘えではない
以上、私のうつ病経験による教訓を書いてきました。
まとめです。
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はじめに:私のうつ病発症までの経緯
⓪「うつ病は甘えだ」と思っていたストイック期
①異変その1:自信喪失、現実逃避(入社5年目序盤〜)
②異変その2:興味喪失、意欲低下(入社5年目中盤〜)
③異変その3:食欲減退、体重減少(入社5年目中盤〜)
④異変その4:集中力低下、読書ができない(入社5年目中盤〜)
⑤異変その5:ミソフォニア(音嫌悪症)の悪化(入社5年目中盤〜)
⑥異変その6:不眠、早朝覚醒(入社5年目終盤〜)
⑦異変その7:思考渋滞、不安・焦り(入社6年目)
⑧異変その8:興味喪失【限界】(入社6年目)
・私のうつ病の要因
①ストイックになりすぎた
②つよがり、慢心
③苦痛な長時間労働
④自分でコントロールできない仕事
⑤上司の指示がバラバラ
⑥冬季の日照時間の減少
⑦新型コロナウイルスの影響による出張減少
⑧社会不適合者であった
・うつ病になった私からのアドバイス
①とにかく、ヤバくなる前に逃げる!病院へ行く
②頑張りすぎず、少しずつ周囲の期待を裏切る
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うつ病を経験した私から言うと、うつ病は甘えではありません。
過去の自分をぶん殴ってやりたいです。
とにかく、早期発見が一番です。
うつ病はストレスの多い現代において確実に増えています。
どうか、出来るだけ多くの人に、手遅れになる前に気付いて対処して欲しいです。
私と同じような後悔をしないよう、
私の失敗から学んでいただけると幸いです。
最後に、「ゆるく」生きるためのヒントとして、ゆるい本を2つ紹介します。
過去に何度か紹介していますが、私も救われました。オススメです。
疲れている人は、是非読んでください。
※2024年12月5日追記
その後、
「双極性障害(躁鬱病)」と診断を受けました。
「双極性障害(躁鬱病)」に関する記事はこちらでまとめています。
※気になる人は確認してください
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