今回は、
「サイドFIREの葛藤:ファミレスのメニュー選びは自由の刑」についてまとめていきます。
私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。
サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。
悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。
・ファミレスのメニュー選びにモヤモヤしている人
・これからサイドFIREやFIREを目指す人
必見です。
サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。
〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人
〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。
〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ
本記事の目次は下記の通りです。
ファミレスのメニュー選びが「自由の刑」である理由
私は小さい頃はファミレスが好きでしたが、
最近はあまり行きません。
「ファミレスのメニュー選び」に対して、
なんだか”抵抗”があるからです。
そのぼんやりとした”抵抗”について、
これまであまり深く考えていませんでしたが、
最近その正体が分かりました。
それは、
ファミレスのメニュー選びがまるで「自由の刑」だからです。
「自由の刑」とは、
哲学者サルトルが言った「自由であることにより否応なしに責任を負う」という概念になります。
※「自由の刑」については下記記事で詳しく解説しています
今回の気付きに至ったのは、
「ユリイカ 2024年1月号panpanya特集」で”同じ感情”に出会ったためです。
著者のpanpanyaさんは「自由の刑」という表現はしなかったものの、
下記の通り述べていました。
・「何を頼んでもだいたい正解」
つまり、どれも不正解だ
・どれでも良い、つまりどれでなくてもよい
まさにその通りであり、
ファミレスのメニュー選びこそ「自由の刑」であり、
”人生”であると考えました。
ファミレスのメニュー選びが「自由の刑」である理由を3つ挙げ、
それぞれについて詳しく解説していきます。
”多方面において”選択肢が多すぎる
「自由の刑」である根拠は、
言わずもがなその選択肢の多さです。
まず分かり易いのが、
メニューの選択肢の多さです。
和洋中をバランスよく網羅し、
デザートやドリンクまで含めるとゆうに100種類は超えます。
さらに、
”セット”や”ドリンクバー”という概念によりその選択肢は爆増するのです。
この時点で、
適切な選択肢数と言われる「5〜9個」を遥かに逸脱しています。
そして、
メニュー以外にも選択肢の相乗効果があることがさらに厄介です。
使用シーンも自由であり、
一人で静かに過ごすもよし、
家族や友人と会話を楽しむもよし、
勉強や仕事で使用するのもよしと、
その場面によって”最適なメニュー”が変わる気がします。
また、
長時間営業の店も多いため好きな時間に好きなだけ利用でき、
高価なメニューを頼んでもリーズナブルに済ませても良いです。
この”多方面において”選択肢が多すぎるということから、
ファミレスは自由そのものを体現していると言っても過言ではありません。
どれも正解・どれも不正解
panpanyaさんの言葉を借りると、
ファミレスは「何を頼んでもだいたい正解」であり、
つまりどれも不正解だということです。
「どれでも良い」
つまり「どれでなくてもよい」。
なかなか深い話ですが、
「どれも正解・どれも不正解」は、
共感出来る人が多いのではないでしょうか。
その現象に拍車をかけるのが、
ファミレスのメニューが「和洋中の境界線を越えたカオス」であることだと考えています。
例えば、
ハンバーグを選んだ時はサバが恋しくなり、
唐揚げ定食を選んだ時はピザが恋しくなるような現象です。
複数人で「和洋中の境界線を越えたカオス」な注文をすれば尚更で、
目の前に他ジャンルの食べ物があるとどうしても惹かれてしまいます。
※シェアも解決策の1つです
同一ジャンルでさえ、
パスタを選んだ時にドリアが恋しくなるような現象が頻発するので、
「和洋中の境界線を越えたカオス」は「自由の刑」の観点からはいただけません。
簡単に言えば、
「ないものねだり」のような虚しい後悔が発生しやすい環境にあるのです。
バイキング・ビュッフェと違い、選択の責任が重い
「ファミレスが自由の刑なら、バイキング・ビュッフェもそうではないか」
という問いが発生します。
それに対する答えは、
もちろん「NO」です。
バイキング・ビュッフェとは似て非なるものであり、
比較することでファミレスの問題点が浮き彫りになります。
ファミレスとバイキング・ビュッフェには「選択肢が多すぎる」という共通点があり、
「和洋中の境界線を越えたカオス」も当てはまる場合が多いでしょう。
しかし、
ファミレスとバイキング・ビュッフェには決定的な違いがあり、
それは「選択の責任」です。
具体的に言えば、
「1つの選択肢によって多数の選択肢を捨てる」という現象の有無です。
ファミレスにおいては、
1つのメニューを選ぶのと同時に100以上の選択肢を捨てることになります。
※超大食いの人を除く
単純に、
他のモノを選ぶ「他の世界線」が多すぎるため、
その後悔と責任が大きくのしかかるのです。
一方、
バイキング・ビュッフェには、
「1つの選択肢によって多数の選択肢を捨てる」という現象が起こりません。
多数のメニューを少しずつ取ることができ、
何度も立ち上がって選び直すことが可能です。
同じテーブルの人が持ってきた他ジャンルの食べ物が恋しくなれば、
改めて取りに行けば良いだけです。
そして、
お腹がいっぱいになったらおしまいで、
食欲がなくなればその後悔も生まれません。
ファミレスは「選択肢が多すぎる」という問題を抱え、
さらに「選択の責任」が重い事が大きな問題なのです。
まとめ:ファミレスのメニュー選びから自由を考える
以上、
「サイドFIREの葛藤:ファミレスのメニュー選びは自由の刑」についてでした。
まとめです。
ーーーーーーーーーー
ファミレスのメニュー選びが「自由の刑」である理由
①”多方面において”選択肢が多すぎる
→メニュー以外にも選択肢の相乗効果があることがさらに厄介
②どれも正解・どれも不正解
→「和洋中の境界線を越えたカオス」で後悔が発生しやすい
③バイキング・ビュッフェと違い、選択の責任が重い
→他のモノを選ぶ「他の世界線」が多すぎるため、その後悔と責任が大きくのしかかる
ーーーーーーーーーー
ファミレスは、
「好きなものを好きな時に好きなだけ楽しむ」という自由を提供している場所だと思います。
そのため、
ファミレスは自由そのものを体現していると言っても過言ではありません。
自由とは選択と責任を伴うものであり、
その選択が正解かどうかを自分で背負う必要があります。
少し大袈裟に表現してきましたが、
ファミレスのメニュー選びから「自由の刑」を学ぶ事が可能です。
もう少し深掘りをし、
次回は「ファミレスから学ぶ、自由の刑から抜け出す方法」についてまとめていきたいと思います。
↓
その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。
※是非読んでみてください
↓
↓こちらもおすすめ↓
・貧乏ごっこの概要
・お金の後悔シリーズ
・ゆるいポイ活
・サイドFIREの概要
・サイドFIREの達成戦略
・9年で4,000万円作った過程
コメント