【作業か労働か娯楽か】「3人のレンガ職人」から学ぶFIREの本質【サイドFIREの葛藤】

⑥哲学者ごっこ

今回は、
『サイドFIREの葛藤:「3人のレンガ職人」から学ぶFIREの本質』についてまとめていきます。

私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。

サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。

悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。

・「3人のレンガ職人」の話を聞いてモヤモヤしている
・これからサイドFIREやFIREを目指す人

必見です。

サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の目次は下記の通りです。

新人研修で用いられる「3人のレンガ職人」の話

「3人のレンガ職人」の話は、
新人研修において”仕事の意味”を考えさせる題材としてよく用いられる話です。

私も新卒で入社した会社の新人研修で初めて耳にしました。

その内容を簡潔に要約すると、
下記の通りです。

旅人がとある建築現場に立ち寄り、
そこでレンガを積む仕事をしている3人に対して「何をしているのか?」と尋ねた。

1人目は、
「上司の指示のもと、仕方なくレンガを積んでいる」と答えた。

2人目は、
「家族を養うため、レンガ積みの仕事をしている」と答えた。

3人目は、
「歴史に残る大聖堂を作っている」と答えた。

この話の起源に関しては、
「イソップ寓話」や「経営学者のドラッカーの名言」など諸説あるようですが、
そんなことはどうでも良いので割愛します。

同じ仕事をしていても、
「何を目的にするか」により感じ方や考え方が大きく異なってくるという教訓です。

もちろん、
新入社員研修においては、
「”大聖堂を作る3人目”のような目的意識を持ち、高いモチベーションを持って仕事をするように」というメッセージが送られることになります。

ひねくれている私は、
新入社員研修で「3人のレンガ職人」の話を聞いた時、
その「押し付けがましさ」にモヤモヤしました。

ただの綺麗事であり、
多くの新入社員は”大聖堂を作る3人目”にはなれないと思ったからです。

サイドFIREおよびLeanFIREを達成して仕事から(一旦)離れた今、
改めてこの「3人のレンガ職人」の話から”仕事の意味”を考え直してみました。

「3人のレンガ職人」から学ぶFIREの本質

「3人のレンガ職人」の話から”仕事の意味”を考え直した結果、
「FIREの本質」が見えてきました。

FIREこそが、
”大聖堂を作る3人目”になることだと考えました。

その理由について、
詳しく解説していきます。

※あくまで私の経験に基づく私見です

”仕方なくレンガを積む1人目”は「仕事=作業」

「上司の指示のもと、仕方なくレンガを積んでいる」と答えた1人目は、
仕事に対する目的意識が低く、

ただの「作業」をしています。

つまり、
「仕事=作業」ということです。

言わずもがな良くない状態であり、
明らかに批判されるべき態度であります。

「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」を比べた時に、
「仕事の労力」の方が圧倒的に重たいような状態です。

※「仕事の労力」>「報酬(お金および成果)」

1人目の「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」のバランス

悪い意味で「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」が見合っておらず、
大きな不満も募ることでモチベーションも下がり、
ますます”退屈な作業”へと成り下がる悪循環を生み出します。

”仕方なくレンガを積む1人目”の姿勢は、
間違いなく負のループを生むことでしょう。

”家族を養う2人目”は「仕事=労働」

「家族を養うため、レンガ積みの仕事をしている」と答えた2人目は、
「お金を稼ぐ」という明確な目的があり、
「労働」をしています。

つまり、
「仕事=労働」ということです。

これは多くの人に当てはまる状態であり、
資本主義社会において健全な態度とも言えます。

「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」を比べた時に、
ちょうどバランスが取れているような状態です。

※「仕事の労力」≒「報酬(お金および成果)」

2人目の「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」のバランス

「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」がほぼ釣り合っている場合、
「こんなものか」という現状維持バイアスが働き、
それ以上の向上心やモチベーションが湧きづらいというデメリットもあります。

つまり、
多くのサラリーマンはここで止まり、
”大聖堂を作る3人目”にはなれないのです。

”家族を養う2人目”は、
「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」が釣り合っている現状を打破しない限り、
永遠に仕事(労働)から抜け出すことができません。

”大聖堂を作る3人目”は「仕事=娯楽」

「歴史に残る大聖堂を作っている」と答えた3人目は、
「大聖堂を作る」という大きな目的があり、
もはや「娯楽」だと言えます。

つまり、
「仕事=娯楽」ということです。

言わずもがな理想的な状態であり、
現代において最も望ましい態度とも言えます。

「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」を比べた時に、
「報酬(お金および成果)」の方が圧倒的に重たいような状態です。

※「仕事の労力」<「報酬(お金および成果)」

3人目の「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」のバランス

良い意味で「仕事の労力」と「報酬(お金および成果)」が見合っておらず、
楽しい仕事に対するモチベーションも上がり、
ますます”楽しい娯楽”へと昇華する好循環を生み出します。

個人的には、
これこそが「FIREの本質」であると考えました。

資産を築く過程においても、
楽しく仕事をすること、
つまり『「仕事の労力」<「報酬(お金および成果)」』にすることが重要です。

その結果、
楽しく仕事をして効率よく報酬を得ることが可能となります。

そして、
FIRE達成後

真の意味で『「仕事の労力」<「報酬(お金および成果)」』を実現させるのです。

「仕事=娯楽」とし、
「好きなことで、生きていく」の実現に近づくとも言えるでしょう。

※『「好きなことで、生きていく」を実現する方法』については下記記事で詳しく解説しています

まとめ:FIREの本質は”大聖堂を作る3人目”になること

以上、
『サイドFIREの葛藤:「3人のレンガ職人」から学ぶFIREの本質』についてでした。

まとめです。

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新人研修で用いられる「3人のレンガ職人」の話
→「多くの新入社員は”大聖堂を作る3人目”にはなれない」説

「3人のレンガ職人」から学ぶFIREの本質

 ①”仕方なくレンガを積む1人目”は「仕事=作業」

 →「仕事の労力」>「報酬(お金および成果)」
 ②”家族を養う2人目”は「仕事=労働」
 →「仕事の労力」≒「報酬(お金および成果)」
 ③”大聖堂を作る3人目”は「仕事=娯楽」
 →「仕事の労力」<「報酬(お金および成果)」

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FIREの本質は、
”大聖堂を作る3人目”になることが分かりました。

労働から解放されない限り、
”大聖堂を作る3人目”になる夢は叶わないということです。

仕事の捉え方次第で、
「作業」→「労働」→「娯楽」へ昇華させることができます。

しかし、
「労働」→「娯楽」の過程が律速段階であり、
この山を越えることには多くのエネルギーを要するのです。

「作業」→「労働」→「娯楽」へ昇華のイメージ

「お金を稼ぐ」という明確な目的を持ち、
「労働」をしている限りは「仕事=娯楽」に昇華させることはできません。

「お金を稼ぐ」という邪念を捨てることが、
”大聖堂を作る3人目”になる第一歩なのかもしれません。

やりがい搾取には注意が必要ですが、
「報酬(お金および成果)」は後からついてくるとも言うことができます。

「お金を稼ぐ」という邪念を捨て、
「利益度外視」のスタンスを貫くことが重要であり、
「利益」を追求しないことこそが重要であると考えました。

そういった意味でも、
つくづく「多くの新入社員は”大聖堂を作る3人目”にはなれない」説は濃厚であると思え、
私が新入社員研修で抱いたモヤモヤの正体だったのかもしれません。

少しでも参考にしていただけると幸いです。

その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。

※是非読んでみてください

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