【友達の子供にお年玉は迷惑】親族以外にお年玉をあげない理由【お年玉相場】

⑥哲学者ごっこ

先日、
ムカつくことがあったので書き綴ります。

結論から、
「友達の子供」に対するお年玉の相場は「0円」だと思っています。

「友達の子供にお年玉をあげる文化」が日本のどこかに存在するのであれば、
一刻も早く消え去って欲しいです。

みなさま、
親族以外の子供にお年玉をあげるのはやめましょう。

迷惑ですし、
面倒くさいです。

心から、
お願いです。

「お年玉」は親族だけにしましょう

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

子供へのお年玉を要求してきた、「元友人A」の話

年末:お年玉を要求

昨年末のある日、
当時の友人A(既婚・2歳の子あり)と話していたときのことです。

Aは学生時代からの友人で、
直近1年は縁があり、
かなりの頻度で会っていました。

社会人になってからずっと疎遠でした。

7年ほど全く会わない期間があり、
ここ1年で急激に距離が縮まったような、
「微妙な関係」でした。

その日も色々と話をする中、
Aの子供の話になりました。

Aは笑いながら、
「お前は翠くん(仮名)にお年玉いくらくれるの?」と聞いてきました。

Aは翠くんのことを溺愛しており、
会うときに連れてくることもあったため、
私も翠くんに3回ほど会ったことがあります。

しかし、
私の人生において、
「友達の子供にお年玉をあげる文化」は存在しませんでした。

私自身、
「父親の友人」や「母親の友人」からお年玉をもらった経験が一度もありません。

私の中でお年玉をあげる対象は、
「血縁関係のある親戚の子供」のみでした。

これは、
明確かつ、
圧倒的にクリーンな線引きだと思います。

これ以外の異論は認めません。

そのため、
上記Aの言葉を受けた私は「つまらない冗談だなぁ・・・」と思いつつ、
「あはは・・・」と愛想笑い(苦笑い)でその場をやり過ごしました。

そして後日。

雑談の中で、
Aは再び「お前は翠くんにお年玉いくらくれるの?」と聞いてきました。

・・・正気か?

本気なのか?

冗談なのか、
本気なのか、
正直よく分かりません。

「親友」というわけでもないため、
踏み込んで真意を確認するのも面倒です。

そして、
「年明け、うちでパーティーしよう」など、
年始の三が日で会うイベントを作ろうとしてきます。

正直、
「めんどくせえ・・・」としか思えません。

私は「年末年始に会わなければ確実に回避できる」と考え、
適当な理由をつけ、
年末年始はAと会わないことを選択しました。

本当に面倒くさく、
会うのもめんどくさくなり、
関わりたくなくなりました。

年始:ネチネチ文句を言う

年始の三が日を回避した私は、
Aのお年玉のことなど忘れていました。
※正しくは「忘れようとしていました」。心の中ではモヤモヤが残っていました。

1月の上旬にAと会った時、
Aは露骨に不機嫌でした。

そして、
「Bは翠くんにお年玉くれたのになぁ、、、1万円。」

と言ってきました。

そう、
Aからの要求を受けた別の友人B(めっちゃ優しい、良い奴)が、

その圧力に負けてお年玉をあげてしまっていたのです。

しかも、
1万円?

2歳児に、
1万円!?

相場考えろよ・・・

後日、
Bに確認したところ、
1万円という金額は「Aに言われるがまま、ノリで渡した」とのことでした。

その時、
現場に居たであろう、
Aの奥さんの神経も疑います。

2歳児にそんな大金、
親として100%の力で突っぱねて欲しいです。

夫婦、
似たもの同士なのでしょうか。

ある意味、
幸せだと思います。

Aは続けて言います。

「もしお前に子供ができたら、10万円渡してやるのに」

「そんで、『お前のお父さんはケチでくれないだろう、可哀想に』って言ってやる」

「価値観の押し付け」も甚だしいと思い、
腹が立ちました。

価値観が違いすぎて、
論点がずれすぎていて、
本質が「狂っている」。

「こいつとは一生分かり合えない」と悟りました。

私は、
イライラしつつ、
モヤモヤしつつ、
私の考え(下記の内容)を伝えました。

親族以外にお年玉をあげない理由

「与える教育」は、わがままを生み出す

私は、
自分自身の経験から「与えない教育」が正義だと考えています。

「与える教育は、わがままを生み出す」と、
本気で思います。

私の「質素倹約」「欲望に負けない心」は、
「モノを与えない教育」が生み出してくれたものです。

対するお年玉を要求してきたAは、
俗に言う「ドーパミン中毒」です。

欲望に忠実で、
自分にも甘く、
BMI25を余裕で超えるデブです。

健康診断で脂肪肝を指摘されながら、
我慢することができず、
毎日のようにラーメンを食べてます。

私と同水準の年収ですが、
「平均より稼いでいる」というだけで、
超高級な生活をしています。

有り金は全て使い、
星野リゾートですら「つまらん宿」と評していました。

翠くんに対しても、
本人が「ディズニーランドに行きたい」と言えば、
毎週のように連れて行ってしまいます。

翠くんは、
思い通りにいかないことがあると大声で叫び、
喚き散らします。

喚き散らせば、
なんでも叶えてもらえるのでしょう。

つまり、
翠くんは「与える教育は、わがままを生み出す」を体現しており、
まさに典型例です。

欲望のままに生きており、
ぶっちゃけ「クソガキ」です。
(公共の場で喚き散らすの、うるさくて普通に迷惑です)

先行きが不安で、
「可哀想だなぁ」と思います(余計なお世話)。

友人間で「お金の貸し借り」を作らない方が良い

結局は、
お年玉は「親同士でのやりとり」であり、
貸し借りが発生します。

友人間であれば、
とにかく気を遣うのが面倒臭いです。

前述の通り、
私の中でお年玉をあげる対象は「血縁関係のある親戚の子供」です。

異論は認めません。

兄弟間・親戚間であれば、
とてもクリーンなやりとりができます。

取り決めも容易です。

何より、
姪っ子甥っ子は我が子のように可愛いので、
「無償の愛」です。

心から与えたくなるので、
「返ってくること」「貸し借り」など、
一切考えません。

「与えすぎ」により義兄弟へ気を遣わせないよう、
相場感を保つように気を遣うべきですが、
正直なところ取り決めすら不要でしょう。

それを、
「2歳児に1万円」という、
相場と乖離した金額を渡すよう促すとは・・・
※しかも、中身も外見も全く可愛くなく、愛情など一切ないクソガキ相手です。

いくらノリでも許されません。

思い出すだけで腹が立ちます。

クソ寒いです。

何より、
「与える教育」を受けて、
わがままに仕立て上げられる子供が可哀想だと思います。

そして、
Aからハシゴを外される翠くんの未来が見えます。

〜近い将来の話〜

わがままになるように育てられ、
欲望のまま「モノを与える教育」を受け、
ブクブクと大きく育ち、
思い通りにいかないことがあると大声で叫び、
喚き散らす翠くん。

そして、
そんな姿をみたAも我慢の限界に達し、
「わがままなこと言ってんじゃねえ!」とキレる。

翠くんは、
困惑するでしょう。

こんな理不尽なこと、
ありますか?

まとめ:友達の子供に対するお年玉の相場は「0円」

以上、
「親族以外にお年玉をあげない理由」についてでした。

まとめです。

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子供へのお年玉を要求してきた、「元友人A」の話
 年末:お年玉を要求
 年始:ネチネチ文句を言う

友達の子供にお年玉をあげない方が良いと思う理由
 ①「モノを与える教育」は、わがままを生み出す

  →「モノを与えない教育」が正義
 ②友人間で「お金の貸し借り」を作らない方が良い

  →私の中でお年玉をあげる対象は「血縁関係のある親戚の子供」

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その後、
Aとは様々なことでぶつかりました。

この「お年玉事件」と同じような価値観の違いは、
他の色々な場面で発生しました。

衝突を繰り返し、
「一生分かり合えない」ということが分かり、
今では関係が絶たれています。

なので、「元友人」です。

私も極端な考えを持つ傾向があり、
悪かったと思います。

おそらく、
Aの周りでは「頑固でケチ」と言われていると思いますが、

それで良いです。

「お年玉事件」に関しては、
この文章を書きながら未だにモヤモヤしてしまいますが、
関係を断つことができてスッキリしている気持ちもあります。

繰り返しになりますが、
「友達の子供にお年玉をあげる文化」が日本のどこかに存在するのであれば、

一刻も早く消え去って欲しいです。

みなさま、
友達の子供へお年玉をあげるのはやめましょう。

迷惑ですし、
面倒くさいです。

お願いです。

このような「お年玉事件」が、
繰り返されないことを願っています。

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