【自由と孤独の境界線】「誰にも縛られない」と「誰もいない」は紙一重【サイドFIREの葛藤】

⑥哲学者ごっこ

今回は、
『サイドFIREの葛藤:「誰にも縛られない」と「誰もいない」は紙一重』についてまとめていきます。

私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。

サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。

悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。

・自由と孤独の境界線にいる人
・これからサイドFIREやFIREを目指す人

必見です。

サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の目次は下記の通りです。

自由を手に入れた先にあるもの

FIREの醍醐味は、
「自分の時間を自由に使える」ことです。

会社の拘束から解放され、
誰にも指図されることなく生きる。

これは、
多くの人が憧れる理想の状態でしょう。

しかし、
自由には2つの顔があります。

「誰にも縛られない」という開放感と、
「誰もいない」という孤独感。

そして、
この2つは紙一重です。

約半年前、
まだサイドFIRE初心者だった頃、
「FIREとは、自由であり孤独である」という記事を書きました。

※以下、要点を抜粋して記載します

FIREとは、自由であり孤独である
 自由と孤独は仲良しでニコイチ

 →自由であるから孤独であり、孤独であるから自由である
 「普通の人生」から外れた責任

 →圧倒的マイノリティであり、孤独であることは当然の話

自由と孤独のバランスを取る方法
 ①FIREではなくサイドFIREを選択する

 →妥協でも下位互換でもなく、「積極的選択」になる
 ②自分に適切なバランスを知り、調節する

 →どの程度の孤独を許容し、どの程度の自由を手にするか
 ③「普通の人生」から外れることをポジティブに捉える
 →マイノリティになるのは、思っているよりも難しいこと

半年前の記事では、
自由と孤独が切り離せない関係であること、
そしてそのバランスをどう取るかについて考察しました。

そして、
「サイドFIREこそが自由と孤独の最適解」と結論づけましたが、
今、私はLeanFIREに近い生活を送っています。

※下記記事で詳しく解説しています

そして、
「誰もいない」という孤独感を痛感しています。

当初の予想通りではありますが、
想定していたよりも強烈でした。

FIREの現実、
「誰もいない」という強烈な孤独感について考えていきます。

「誰にも縛られない」と「誰もいない」は紙一重

「誰にも縛られない」自由の魅力

FIREを目指す人の多くは、
仕事の拘束から解放されること、

「誰にも縛られない」を夢見ています。

すべての時間を自分のために使える自由。

やりたくないことをやらずに済む解放感。

これは、
間違いなくFIREの大きな魅力です。

・朝起きる時間も自由

・嫌な人間関係に悩む必要なし


・仕事のストレスから解放される

これらの要素が積み重なり、
「誰にも縛られない」自由は確かに手に入ります。

しかし、
その自由は「誰もいない」という孤独の現実と表裏一体です。

「誰もいない」孤独の現実

FIRE後の生活では、
当然ながら会社の同僚との雑談は消えます。

会社に関わる大小全ての交流がなくなります。

「誰にも縛られない」生活は、
「誰もいない」生活とセットになっているのです。

たとえば、
平日の昼間、
カフェで作業しているとき。

周囲の人々は、
会社の休憩時間を過ごしているビジネスマンや学生ばかり。

ふとした瞬間に、
「自分は誰とも関わっていない」という
孤独を痛感します。

また、
土日はもっと強烈な孤独を感じ、

土日の存在が嫌いになります。
※下記記事で詳しく解説しています

そんな日が続くと、
「誰にも縛られない」自由があるのに、

「誰もいない」という状況が重くのしかかります。

これは、
想定以上の孤独でした。

あれほど「面倒くさい」と思っていたはずの人間関係、
社会との関わりに、
実は精神的な支えを見出していたことに気が付きます。

急にその枠組みから外れると、
「自分って、いま何者なんだろう?」

というアイデンティティの揺らぎを感じることもあるのです。

また、
読書や勉強をすることで、

より鮮明に孤独を感じることも多々あります。

最近読んだ小説では、
この手のものが心に刺さり、
孤独に響きました。

厄介な人との繋がりやしがらみから離れ、
少し距離を置いて見ることで虚しくなることがあります。

貧困問題などを描く作品を読んでいても、
「自分は恵まれている」と思うより先に孤独がやってきます。

フィクションであれど、
作中でもがき苦しむ人たちは、
「誰にも縛られない」自由を欲しているはずです。

そんな「誰にも縛られない」自由を得て、
これまでできなかった読書や勉強に時間を費やし、
そのことで「誰もいない」という強烈な孤独を思い知るとは、
なんとも皮肉な話だと思います。

まとめ:「誰にも縛られない」自由を謳歌しすぎないこと!

以上、
『サイドFIREの葛藤:「誰にも縛られない」と「誰もいない」は紙一重』についてでした。

まとめです。

ーーーーーーーーーー

自由を手に入れた先にあるもの
→「誰もいない」という想定以上に強烈な孤独感

「誰にも縛られない」と「誰もいない」は紙一重

 ①「誰にも縛られない」自由の魅力

 →すべての時間を自分のために使える自由
 ②「誰もいない」孤独の現実
 →アイデンティティの揺らぎを感じることもある

ーーーーーーーーーー

「誰もいない」という強烈な孤独感は、
想定以上でした。

では、
この孤独感をどう乗り越えればいいのか?

過去の記事でも触れたように、
「FIREではなくサイドFIREを選択する」というのは1つの解です。

仕事を少し残すことで、
社会との接点を維持しつつ、
自由も確保できる。

これも良い薬になると思います。

しかし、
それより簡単な特効薬は、
「誰にも縛られない」自由を謳歌しすぎないことです。

自由な時間を得ると、
どうしても「FIRE後にやりたかったこと」として、
「誰にも縛られない」自由を謳歌しすぎる傾向にあると思います。

私もその通りであり、
ここ数ヶ月はこれまでできなかった読書や勉強に時間を費やしすぎており、
「誰にも縛られない」ソロ活動を謳歌しすぎていました。

その結果、
「誰もいない」という強烈な孤独感がセットでやってきたのだと思います。

FIREは、
単に「誰にも縛られない」自由を謳歌するわけではなく、
「自由と孤独のバランスを取りながら生きること」だと
気付かされました

そのバランスを見極めることこそ、
FIREの醍醐味なのかもしれません。

「誰にも縛られない」自由を謳歌しすぎないよう、
気をつけながら生きたいと思います。

少しでも参考にしていただけると幸いです。

その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。

※是非読んでみてください

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