【与える教育のデメリット】与えない教育のメリット【貧乏ごっこの起源】

②貧乏ごっこ

今回は、
「与える教育のデメリット」「与えない教育のメリット」について書きたいと思います。

「お金の価値観」と「環境&教育」の関係について、
真面目に考えてみました。

・子供を倹約家に育てたい方
必見です。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の構成は、下記目次の通りです。

はじめに:「お金の価値観」と「環境&教育」の関係

私は「超倹約家」です。

何故ここまでの倹約家になったのかを真面目に考えました。

その結果、
「生まれ育った環境&教育の影響が最も大きかった」という結論に至りました。

私は平凡な家庭に生まれましたが、
生まれ育った環境は少し特殊だったと思います。

その『特殊』は、
正直なところ「良いとは言えない意味」を成すことが多かったです。

当時の私は視野が狭く、
それなりに恵まれているにも関わらず、
生まれ育った環境を恨み、
ストレスを感じることが多かったです。

その結果、
ひねくれたまま大きくなってしまいました。

故に、
「行き過ぎた倹約家」になってしまったと考えています。

今回は、
私の「お金の価値観に大きな影響を与えた2つの話」について書きたいと思います。

両方とも、
当時の感情を交えながら書くので、
少しだけ毒づきます。
ご了承ください。

なお、
当時の私にとっては全てが理不尽でしたが、
その逆境を乗り越えた今は「美談」とすることが出来ています。

少しだけ毒づきますが、
育ててくれた親族には感謝しかありません。

お金の価値観に大きな影響を与えた2つの話

最大の反面教師は、『見栄っ張り』な親戚

私の母方の親戚には『見栄っ張り』の人間が多く、
私は幼いながらにその「背伸び思考」に大きな疑念を抱いていました。

「私(筆者)の誕生祝い」と称して、
約1億円の巨額のローンを組み、
「見栄の塊」とも呼べる小さなビルを建設するような人間でした。

祝われたはずの私にとっては、
そのビルの存在は「祝い」ではなく「呪い」でした。

私はその愚かな親戚たちを「反面教師」にして生きてきました。

この話は、
他人事なら笑えると思いますが、
当事者からすれば全く笑えず、

「許されない話」です。

幸いにも、
現在はそのビルの権利も負債も全て別の親戚の手に渡りました。

もしも、
私にその負債が降りかかっていたら、
私は先祖の『見栄っ張り』に一生苦しめられ、
先祖を一生恨むこととなったでしょう。

幼い頃から「負債が降りかかって来る心配」に苛まれていたため、
私は『見栄っ張り』による立派な被害者であると考えています。

本当に大きな不安とストレスでした。

いつ負債が降りかかっても良いよう、
幼い頃から貯金癖がついていました。

少しでもその負債に立ち向かえるように、
うまい棒や5円チョコも我慢するような、
健気な小学生でした。

ビルの建設から30年以上経っていますが、
未だに約4,000万円の巨額ローンが残っていると聞きます。

「巨額ローンの利子」はまさに地獄です。
複利を敵に回し、ローン返済のために生きなければなりません。

そんな人生、
他人のために生きているも同然です。

「身の丈に合わない巨額ローン」は、
控えめに言って「クソ」です。

この経験から、
私の最大の反面教師は、

『見栄っ張り』な親戚となりました。

そして、
幼い頃から親戚の『見栄っ張り』にストレスを感じすぎたせいか、
行き過ぎた思考となったのです。

私は、
「身の丈に合わない質素な生活をし、貧乏だと思われて生きることが正義だ」
と考えています。

「身の丈に合わない裕福な生活をし、金持ちだと思われて生きることが正義だ」
と考える『見栄っ張り人間』の思考とは真逆です。

『見栄っ張り』は常に比較競争レースの中心にいます。

よって、
『見栄っ張り』は『見栄っ張り』を呼び続けます。

この浪費ループは、
控えめに言って「あほ」です。

私の親戚は、
親戚内でもこの浪費ループを加速させていました。

『見栄っ張り』の比較競争レースから降りて質素に暮らすだけで、
『見栄っ張り』人間との付き合いも減り、
人生が豊かになることは明らかでした。

これが、
私の『貧乏ごっこ』の入り口でした。

※「見栄っ張りに注意」「欲は身を滅ぼす」に関しては、
別記事で詳しく解説しています。

良くも悪くも、『見栄っ張り』人間の影響力は大きい

父の「与えない教育」で質素倹約が身についた

私の父は、
「お金にうるさい人間」でした。

おそらく、
私と同じように、
母方の親戚の『見栄っ張り』行動や「巨額ローン」に大きなストレスを感じていたに違いありません。

父は婿養子に来ていたのですが、
「やばいところに婿養子に来てしまった・・・」
と思っていたはずです。

お金のことを口にするだけで、
怒るような人間でした。

私にも『見栄っ張り』の血が流れているため、
私が『見栄っ張り』に育つことを危惧していたのかもしれません。

私は、
そんな父から「与えない教育」を受けました。

しかし、
父にはそこまでお金の知識がなく、
「与えられない」だけだったかもしれません。

理不尽なことが非常に多かったです。

父は頑固な人だったので、
『欲しいモノ』を交渉しても、

まともに議論すらせず、
頭ごなしに却下されるだけでした。

特に、
当時の私の頭を悩ませたのが、
インターネット問題でした。

我が家は、
2000年代に入っても自宅にインターネット環境が整っていない、
時代遅れな家でした。

当然、
パソコンは1台もありません。

私が「インターネットの将来性や情報収集の重要性」について語り、
パソコンとインターネットの導入をお願いしても、
ろくに話も聞かず、

頭ごなしに却下されるだけでした。

「そんなに欲しいなら自分の小遣いでやれ」
と怒られました。

その対応に腹を立てながら、
私は「中学校に上がったら自分でパソコンを買い、自分でインターネット環境を整える」と決心し、小学校高学年の時から「本気で」貯金をはじめました。

貯金の目標金額は「20万円」でした。

15万円でノートパソコンを買い、
5万円を当面の通信費に充てる計画です。

小学校時代、
お小遣いは「学年×100円/月」でした。
(6年生時は600円/月)

親戚はそれなりに多かったので、
お年玉が大きな収入源でした。

毎年「誕生日プレゼント」と「クリスマスプレゼント」は必ず貰えたので、
計画的に欲しいモノを頼みました。

サッカークラブの帰りに友達みんなで駄菓子屋に寄るのが習慣でしたが、
ブタメンを美味しそうに食べる友達を横目に、
私はうまい棒や鈴カステラだけで我慢しました。

サッカーボールもスパイクも練習着も、
新しいモノを買う資金がないので、
「誕生日プレゼント」や「クリスマスプレゼント」で貰ったものを大事に大事に使いました。

とにかく、
「質素倹約」でお金を使わない生活を続けていました。

そんな私の姿を見て、
優しい母がこっそり、
テストで100点を取るたびに100円をくれたのを覚えています。
※100点でなければ1円も貰えないので、勉強も頑張りました。

そして、
ちょうど中学校に上がった頃、
目標であった「20万円」の貯金を達成しました。

この時の達成感は、
今も忘れません。

近所のジョーシンで東芝のノートパソコンを買い、
4,980円/月のYahoo!BBのADSL(懐かしい、、、)の契約を自分で行いました。

インターネット導入の際、
想定外の手痛い工事費も取られたことを鮮明に覚えています。
※社会の厳しさを学びました。

中学校に上がってからはお小遣いも5,000円/月に上げてもらいましたが、
4,980円の通信費を引いたら、
手元に20円しか残りません。

完全に「詰み」です。

お小遣いでは生きていけないので、
自分で小遣いを稼ぐことを覚えました。

趣味であったクワガタの繁殖・販売でお金を作りました。
そうせざるを得なかったのです。

別記事で詳しく書いています↓

周りが携帯電話を持ち始めた頃、
携帯電話の通信費の交渉を行いましたが、
ろくに話も聞いてもらえず頭ごなしに却下されました。

友達は当然のように通信費を親に支払ってもらっていたので、
みんなのことが羨ましくて仕方なかったのを覚えています。

高校に上がる直前、
自分で携帯電話を契約しました。

携帯キャリア各社のプランを徹底的に調べ、
『メール送り放題』の条件で当時最安であったドコモの「タイプSS バリュー約1,500円/月(途中で値下げと値上げあり)」を大学生になるまでずっと使っていました。
※現在の格安SIMと同水準の価格ですが、このプランを知っている人は少なかったと思います。

このように、
お金がないため、
自分で徹底的に調べて考える癖がつき、
固定費削減術が自然と身につきました。

インターネット環境や携帯電話が当たり前になった現在では考えられないと思いますが、
当時、このような経験をした人は他にもいると思います。

結果として、
「与えない教育」により、

創意工夫を学び、
私は「質素倹約のコツ」を完全に掴みました。

「モノを与えない教育」は、毒にも薬にもなる

姪っ子への「与える教育」の反省

私には子供がいませんが、
可愛い姪っ子(10歳、4歳、1歳)と甥っ子(3歳)がいます。

特に初めての姪っ子(10歳)は我が子のように可愛く、
これまで散々甘やかしてきました。

自分の子供には厳しく教育したいと思いますが、
姪っ子は別です(言い訳)。

誕生日とクリスマスはもちろん、
ことある毎に「欲しいモノ」を聞き、
プレゼントしてきました。
※決して、モノで釣っているわけではありません。モノがなくとも、私にとても良く懐いています。本当です。

しかし、
『「与える教育」は良くない』と思う事件が起こりました。

数年前の誕生日に、
姪っ子が欲しいと言った「もっちまるず」をプレゼントした時の話です。

もっちまるず:ほっぺたをぷにぷにして遊ぶゲーム

プレゼントした時は大いに喜び、
その当日&翌日は楽しそうに遊んでいるのを確認しました。

その約3ヶ月後、
久しぶりに姪っ子の家に行った時、
もっちまるずが下記状況になっていました。

外のぷにぷに部分が全て無残に剥がされたもっちまるず

・・・。

姪っ子は、
「ぷにぷにしすぎて、いつの間にかこうなってた」と言いました。

しかし、
私も触ってみたので分かりますが、
ぷにぷに部分もかなり頑丈なので、
自然にこの状態になることは考えにくいことでした。

姪っ子は、
私たちに「モノを与えられすぎた」せいで、
「モノを大切にする心」が全く養われていません。

そして、
「欲しいものはなんでも手に入る」と、
だいぶワガママに育ってしまっているように感じます。

「与える教育」をそろそろ見直そうと考えました。

でも、
まだまだ可愛いので、
難しいかもしれません。

※「超倹約家」が他人にプレゼントすることを不思議に思った方もいるかもしれません。
私は自分の出費に関しては徹底的に削減していますが、他人へのプレゼントは好きです。
『貧乏ごっこ』は自分の中だけにとどめています。

まとめ:「モノを与えない教育」は毒にも薬にもなる

以上、
「与える教育のデメリット」「与えない教育のメリット」についてでした。

まとめです。

ーーーーーーーーーー

はじめに:「お金の価値観」と「環境&教育」の関係
→お金の価値観は、幼少期の環境&教育によって形成される

お金の価値観に大きな影響を与えた2つの話
 最大の反面教師は、『見栄っ張り』な親戚
 →身の丈に合わない質素な生活をし、貧乏だと思われて生きることが正義
 父の「与えない教育」で質素倹約が身についた

 →「与えない教育」は創意工夫をうむ

姪っ子への「与える教育」の反省
 →「与える教育」はワガママを養成する

ーーーーーーーーーー

お伝えした通り、
生まれ育ってきた環境&教育により、
私の「極端なお金の価値観」が養われたと考えています。

『見栄っ張り』な親戚を反面教師にすることで、
比較競争レースから降りて「質素に暮らすこと」の大切さを学びました。

そして、
「与えない教育」を受けることにより、
「質素倹約のコツ」を完全に掴み、
固定費削減術も経験により習得しました。

当時は大変でしたが、
今となってはとても良い経験であったと思っています。

また、
「与えない教育」は創意工夫をうみ、
「与える教育」はワガママを養成すると考えています。

私はこの経験から、
自分の子供には「与えない教育」をしたいと考えています。

これからもお金の勉強を続けて知識をつけ、
計画的な「与えない教育」がしたいです。

子供が欲しいと言うモノがあれば、
頭ごなしに否定することはしたくありません。

私がとても嫌な思いをしたからです。

子供の意見を尊重し、
議論した上で検討したいと考えています。

但し、
基本的には「与えない」方向です。

そうすることで、
一生懸命プレゼンし、
様々な創意工夫をする習慣が身に付くことでしょう。

私がそうしたように、
お金がない中で質素倹約を学んで欲しいと考えています。

・・・ただ、
実際に子供ができたら、
可愛くて仕方なくて、
姪っ子同様に「与える教育」をしてしまうのではないかと、
少しだけ不安です。

そうならないよう、
これから姪っ子や甥っ子で実験したいと思います。

皆様の教育の参考にしていただければ幸いです。

↓こちらもおすすめ↓

・貧乏ごっこの概要

・お金の後悔シリーズ

・ゆるいポイ活

・サイドFIREの概要

・サイドFIREの達成戦略

・9年で4,000万円作った過程

・サイドFIRE生活の葛藤

コメント

タイトルとURLをコピーしました