【趣味で稼ぐ】クワガタの販売で生計を立てた学生時代【与えない教育のメリット】

②貧乏ごっこ

今回は、
「クワガタの販売で生計を立てた学生時代」について書いていきたいと思います。

倫理的に少しだけ罪悪感があり、
あまり筆が進みませんでした。

昔話として、
ここで成仏させたいと思います。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の構成は、下記の通りです。

はじめに:「モノを与えない教育」は諸刃の剣である

大前提として、
これから書くことは、

私にとっては「良かった話」です。

私自身は「与えない教育」を受けたおかげで、
貧乏な学生生活を経て、
創意工夫を学び、
質素倹約が出来るようになり、
30代前半で4,000万円の資産を作って、
自由に生きることが出来るようになりました。

「与えない教育」が、
人生の選択肢を増やしてくれました。

しかし、
あくまで結果論であり、

「どう転んでもおかしくなかったな」と思います。

「お金欲しさに倫理的に外れたことを行う世界線」も間違いなくありました。

私の場合はギリギリ良心が勝ち、
紙一重だったと思います。

何事もそうですが、
諸刃の剣だと思います。

今の私にとっては、
「与えない教育が正義である」ことは間違いありません。

なので、
個人的には「与えない教育」を推します。

そういった背景があることを前提に、
読んでいただけると幸いです。

「与えない教育」で創意工夫した幼少時代

家にインターネットもパソコンもなく、20万円貯金した小学生時代

小学生時代の話です。

過去の記事で書いた通り、
我が家は2000年代に入っても自宅にインターネット環境が整っていない、
時代遅れな家でした。

当然、
パソコンは1台もありませんでした。

私が「インターネットの将来性や情報収集の重要性」について語り、
パソコンとインターネットの導入をお願いしても、
ろくに話も聞かず、

頭ごなしに却下されるだけでした。

「そんなに欲しいなら自分の小遣いでやれ」
と怒られました。

その対応に腹を立てながら、
私は「中学校に上がったら自分でパソコンを買い、自分でインターネット環境を整える」と決心し、小学校高学年の時から「本気で」貯金をはじめました。

貯金の目標金額は「20万円」でした。

15万円でノートパソコンを買い、
5万円を当面の通信費に充てる計画です。

小学校時代、
お小遣いは「学年×100円/月」でした。
(6年生時は600円/月)

親戚はそれなりに多かったので、
お年玉が大きな収入源でした。

毎年「誕生日プレゼント」と「クリスマスプレゼント」は必ず貰えたので、
計画的に欲しいモノを頼みました。

サッカークラブの帰りに友達みんなで駄菓子屋に寄るのが習慣でしたが、
ブタメンを美味しそうに食べる友達を横目に、
私はうまい棒や鈴カステラだけで我慢しました。

サッカーボールもスパイクも練習着も、
新しいモノを買う資金がないので、
「誕生日プレゼント」や「クリスマスプレゼント」で貰ったものを大事に大事に使いました。

とにかく、
「質素倹約」でお金を使わない生活を続けていました。

そんな私の姿を見て、
優しい母がこっそり、
テストで100点を取るたびに100円をくれたのを覚えています。
※100点でなければ1円も貰えないので、勉強も頑張りました。

そして、
ちょうど中学校に上がった頃、
目標であった「20万円」の貯金を達成しました。

この時の達成感は今も忘れません。

自分でインターネット料金を払い、お小遣い残高20円の中学生時代

20万円の貯金がたまり、
早速行動です。

近所のジョーシンで東芝のノートパソコンを買い、
4,980円/月のYahoo!BBのADSL(懐かしい、、、)の契約を自分で行いました。

インターネット導入の際、
想定外の手痛い工事費も取られたことを鮮明に覚えています。
※社会の厳しさを学びました。

中学校に上がってからはお小遣いも5,000円/月に上げてもらいましたが、
4,980円の通信費を引いたら、
手元に20円しか残りません。

完全に「詰み」です。

手痛い工事費により、
当面の通信費に充てようとしていたお金もあまり残っていません。

お小遣いでは生きていけないので、
自分で小遣いを稼ぐことを少しずつ覚えました。

そうせざるを得なかったのです。

クワガタの販売で生計を立てた学生時代

「むし社」での仕入れ

物心ついた頃から、
私はカブトムシやクワガタが大好きでした。

小学校のクラスに1人は居る、
昆虫博士的なポジションでもありました。

採集して少し飼育するのみで、
小学生時代は「夏限定」の趣味として楽しんでいました。

私が中学校に上がった頃、
「外国産カブトムシ・クワガタブーム」的なものが起こっていることを知ります。

1999年に外国のカブトムシ・クワガタムシの輸入が部分的に解禁となった影響で、
業界がとても賑わっていました。

そんな中、
当時中野駅前にあった「むし社」の存在を知り、
中学1年生のゴールデンウィークに初めて足を運びました。

そこは、
控えめに言って、
天国でした。

テレビや雑誌でしかみたことがない、
大きて美しいカブトムシ・クワガタムシが膨大な数並んでいます。

初めて生で見て、
生きていること・動いていることに感動しました。

丸1日居ても、
全く飽きません。

お昼ご飯も食べずに、
動物園や水族館と同じような感覚で、
その狭い空間に何時間も滞在していました。

「欲しいもの」に満たされた空間ですが、
当然、お金はありません。

その日の予算は3,000円でした。

正直、どのカブトムシもクワガタもとても高いです。
外国産クワガタのペアは3,000円〜、外国産カブトムシのペアは6,000円〜、といった相場感です。

私は最初から、
「ゴールデンウィークセール限定 1,000円くじ」を3回まわすことを決めていました。

・・・決して、
ギャンブラーではありません。

そのくじは、
「ハズレなし」
「必ず生き虫が当たる(しかも選べる)」
「昆虫ゼリーや昆虫マット、雑誌なども付いてくる(しかも選べる)」

と、赤字覚悟の超大盤振舞でした。

くじを3回を引き、
「3等×1」「4等×2」を引き当てました。

生き虫の戦利品は、下記の通りだったと思います。※サイズは曖昧です
「アンタエウスオオクワガタ ペア ♂65mm UP(3等)」
「スマトラオオヒラタクワガタ ペア ♂65mm UP(4等)」
「スマトラオオヒラタクワガタ ペア ♂65mm UP(4等)」

初めて飼う、
外国産のオオクワガタと外国産のヒラタクワガタです。

「昆虫ゼリー」「昆虫マット」「月刊むし(雑誌)」も持ち帰り、
定価換算で13,000円くらいだったと思います。

むし社さんは子供にも優しく、
素晴らしいお店でした。

もしかしたら、
初めてむし社に行った日が、
人生で一番楽しかった日かもしれません。

それくらい、
「夢」と「希望」が詰まった、
素敵な空間でした。

ありがとうございます。

完全に趣味となった累代飼育(ブリード)

はじめての外国産クワガタを手にし、
「月刊むし」やインターネットで勉強をします。

そこで、
累代飼育(ブリード)を学びました。

「卵→幼虫→蛹→成虫」という”神秘的な過程”を見ることができるのはとても幸せだと思い、
「これしかない!」と考えました。

早速飼育ケースをセットし、
累代飼育を開始しました。

アンタエウスオオクワガタ・スマトラオオヒラタクワガタの飼育ケースを見るのが至福の時間でした。

産卵木や昆虫マットに卵を産んでいるか、
気になって仕方がありません。

大袈裟ではなく、毎時間確認してしまうレベル・・・
いや、
10分ごとに確認してしまうレベルでした。

それくらい、
生活の中心となっていました。

そして、
はじめて卵を見つけたときの感動は、

今でも忘れません。

その後も、
はじめて幼虫を目にしたとき、
はじめて蛹室(蛹になるための部屋)を見つけたとき、
はじめて蛹を目にしたとき、
はじめて羽化している個体を見たとき、
めちゃくちゃ感動しました。

後から知ったことですが、
幼虫の飼育ボトルを頻繁に動かすことは、
幼虫へストレスがかかり、
矮小化(大きく成長しないこと)に繋がり、
よくありません。

しかし、
我慢できないほどに、
「気になって気になって仕方のないこと」でした。

結果、
初めての夏に羽化させた個体たちは、
親個体よりも小さい個体ばかりでした。

この矮小化は、
愛情の証だったと思っています(?)。

また、
色々な事件も起こります。

飼育スペースや飼育ケースの限界があり、
比較的小さな飼育ケースでスマトラオオヒラタクワガタ♂2匹、♀2匹を飼った結果、
♂による♀殺しが起こってしまい、本気で悲しみました。

割り出しの際、
(誤って)はじめて幼虫を潰してしまったときの悲しみも忘れません。

※慣れない時期にこのような事故は発生します

その後も、
はじめて幼虫の死骸を見つけたとき、
はじめて羽化不全(蛹から成虫になる過程で亡くなってしまう事例)を目にしたとき、
めちゃくちゃ悲しい思いをしました。

日常的に喜怒哀楽があり、
常に心が動いていて、

とても充実した毎日でした。

また、
専門書・専門雑誌を読み漁り、
自由研究で100ページ超の大作を書き、
「何かにストイックに熱中すること」の基礎も養成されました。

「無料で趣味をする方法」を見つける

当時の私の実家は、
ボロいながらも割と広い家でした。

累代飼育において、
「夏場の高温」が一番の問題だったので、
家の中で一番涼しい玄関に活路を見出します。

玄関に使っていない下駄箱が丸々1つあったので、
そこを私専用の飼育スペースとさせてもらいました。
成虫の飼育ケース10個+幼虫の飼育ボトル(1100ml)50個くらいは入ったと思います。

「好きこそものの上手なれ」と言う言葉の通り、
加えて「とんでもない熱意」もあったため、
初年度からかなりの数の幼虫を増やしました。

幼虫の飼育ボトルと昆虫マットにお小遣いをつぎ込み、
財布がすっからかんとなってしまったのを覚えています。

※菌糸ボトルは高級品で買えませんでした

羽化させた個体は、
全て大切に大切に育てていました。

そんな中、
親戚の子供からの「需要」を耳にします。

一緒に住んでた祖母から、
「Rくんがクワガタ見たいって言うから、今度見せてあげてもいい?」と言われました。

Rくんをはじめとし、
3人の親戚の小さな子供が定期的に私のもとを訪れ、
目を輝かせて帰って行きました。

親戚の子供にクワガタをあげて、
その代わりにその親や祖父母から3,000円〜5,000円くらいのお小遣いを貰いました。

商売相手が小さい子供だったので、
実際に動くのは潤沢な「親や祖父母」の財布です。

また、
小さい子供は♂にしか興味を示しません。

私にとっては、
交尾で役目を全うした♂だけを引き取ってもらうことができ、
Win-Winでした。

とてもコスパの良い錬金術を生み出しました。

「これでタダでクワガタ飼育ができる!!」と、
興奮したことを覚えています。

需要を把握し、
錬金術を生み出し、
「無料で趣味をする方法」を見つけたのです。

コスパを考えて販売開始

「無料で趣味をする方法」を見つけ、
金銭的には無限に飼育できるようになりました。

限りあるのは、
飼育スペースだけです。

飼育スペースを有効利用するため、
色々と考えました。

アンタエウスオオクワガタ・スマトラオオヒラタクワガタの飼育を行った経験から、
総合的に考えてス「マトラオオヒラタクワガタ一本」に絞ることとしました。

アンタエウスオオクワガタは「高温が苦手」な種です。

また、
元々羽化不全の多い個体と言われています。

空調設備のない「夏場で30℃を超えるような飼育環境」では、
羽化不全は増えて当然でした。

1年で♂3匹、♀3匹ほど羽化させましたが、
それと同数ほどは羽化不全等で羽化前に亡くなってしまいました。

くじで3等が当たり、
人気があったので選んだものの、
そもそも初心者には不向きな種でした。

未だに、
アンタエウスオオクワガタには苦手意識があります。

劣悪な環境での飼育を敢行したが故に、
高確率で羽化不全を目にし、
苦い記憶による補正もあるかもしれません。

逆に、
スマトラオオヒラタクワガタは総合的にアタリな種でした。

高温にも強く、
飼育が容易。

羽化不全も少なく、
小さな個体でも太いアゴがカッコ良くて需要がある。

唯一の問題は、
少し気性が荒いので「♂による♀殺し」に注意が必要という点です。

そんな問題も、
♂は親戚の子供に需要があるので、
交尾後に♂だけ売って♀だけ飼育ケースに残せば解決です。

また、
別のクワガタに手を出すことも検討しましたが、
スマトラオオヒラタクワガタが最適解でした。

単価の高い種も存在しますが、
そういった人気種は「①デカすぎる」or「②飼育が難しい」といった特徴を持ちます。

「デカすぎる」個体は、
成虫の飼育ケースも幼虫の飼育ボトルも大きなものを準備する必要があり、
私のような「飼育スペースに限りがある場合」は不適です。

※スマトラオオヒラタクワガタは1100mlの幼虫飼育ボトルで羽化可能ですが、パラワンオオヒラタクワガタなどのデカい人気種は1400mlのボトルが必須です。

「飼育が難しい」個体は、
我が家のような「空調設備のない、夏場で30℃を超えるような飼育環境」では、
言わずもがな不適です。

あくまで、
最初は営利目的ではなく、
「無料で趣味をする方法」としての販売行動でした。

スマトラオオヒラタクワガタが「ちょうど良かった」のです。

そして、
ヤフオクで生き虫の販売が可能であることを知り、
ネットを使った販売に手を出すこととなります。

ヤフオクで、一夏10万円超の売り上げ

飼育はスマトラオオヒラタクワガタ一本に絞り、
1ペア3,000円前後(送料別)で販売を始めました。

しっかり売れました。

夏場の需要は確実にあり、
親戚の子供に売るよりも罪悪感がなく売ることができた記憶があります。

手にした資金をもとに、
年に6回くらいはむし社に行き、
セール開催時は「超お得なくじ」を引き、
生き虫や飼育用品を手にしていました。

下記のいろんな種を飼い、
家でしばらく鑑賞し、
その後はヤフオクで売りました。

アルキデスヒラタクワガタ
ダイオウヒラタクワガタ
スジブトヒラタクワガタ
パリーオオクワガタ
アスタコイデスノコギリクワガタ
パリーフタマタクワガタ
ルデキンツヤクワガタ など

なお、
カブト系には一切手を出しませんでした。

総じてデカく、
私の飼育スペースには適さなかったため、
カブトは採用するに値しませんでした。

また、
1回だけくじで「2等」を引き当て、

「100mm前後のパラワンオオヒラタクワガタ ペア」を当てたことがありました。

めちゃくちゃ感動し、
数ヶ月観賞し、
堪能した後、
ヤフオクで売りました。

いい値段になったのを覚えています。

加えて、
飼育用品の産卵木と飼育マットは通販で大量購入し、
自分で使う分だけ取っておき、
残りは売りました。
※この一連の行為だけで少しプラスになった記憶があります。

一夏で10万円超の売り上げになりました。

ただ、
夏以外はほとんど売るものがありませんでした。

他の季節の収入はありませんが、
中学生にとっては大金でした。

「無料で趣味をする方法」を超え、
完全な黒字に転換しました。

この波に乗っていた時は、
「このまま一生食っていける!」と調子に乗っていました。

「単価の高い種の取り扱いに手を広げ、スケールアップすれば・・・」と妄想し、
勝ち筋しか見えませんでした。

しかし、
人生、

そう上手くは行かないものです。

クワガタの販売をやめた理由

倫理的な問題:心が死んでいく

私は、
クワガタが大好きでした。

大好きだからこそ、
熱意があったからこそ、
累代飼育も販売もうまく行きました。

失敗を重ねつつも、
悲しい出来事もありつつ、
とても楽しい日々でした。

しかし、
徐々に心が死んでいきます。

少しずつ
じわじわと、
「心が踊っていた趣味」が「ただの作業」に移り変わっていきました。

最初はあれほどまでに感動していた、
卵、幼虫、蛹、成虫の姿も、
「お金の引換券」のようにしか見えなくなっていました。

最初の頃は「1時間ごと」に確認していた幼虫の飼育ボトルでしたが、
徐々に確認する頻度は減っていきます。

最終的には、
3ヶ月以上放置は当たり前となり、
飼育ボトル交換のタイミングでしか確認しないようになりました。

皮肉なことに、
私の興味関心が薄れることで、
「放置」という幼虫にとって「最もストレスフリーな環境」となり、
徐々に羽化する成虫のサイズは大きくなっていきます。

前述の通り、
「羽化個体が矮小化するのは、愛情の証である」は正であり、

「羽化個体が巨大化するのは、放置の証である」も正だと思っています。

そして、
ある日、
「心が死んでいること」を思い知ります。

羽化不全を目にしたときのことでした。

成虫になっているであろう時期を見計らって、
飼育ボトルの割り出しを行いました。

たいていの個体は大きく綺麗に羽化しています。

しかし、
飼育難易度の低いスマトラオオヒラタクワガタであっても、
羽化不全という「エラー」は一定数発生してしまいます。

最初の頃は、
成虫の割り出しは「無事に羽化した子との感動の対面」であり、
めちゃくちゃ楽しい時間でした。

しかし、
この頃には「羽化不全の個体と対面する可能性がある、憂鬱な時間」へと成り下がっていました。

そして、
案の定、
憂鬱な瞬間が訪れます。

その日の成虫割り出しの時には、
「無残にも羽化不全してしまい亡くなっている個体」と、
「微妙な羽化不全で重度の羽パカ(生きてはいるが、羽が閉じておらず売り物にならない)」
の2匹が居ました。

私は、
無意識に舌打ちをし、
ため息をついていました。

至近距離で自分の「舌打ち」と「ため息」が聞こえた時、
「心が死んでいる」ことに気づきました。

はじめて羽化不全を目にしたとき、
あんなにも悲しかったのに、
今は悲しむどころか、
ムカついている。

はじめて幼虫を飼育していた頃は、
その子たちの体重推移を全て把握していたが、
今目にしているこの個体たちのことは何も知らない(1回も体重測定していない)。

命を扱っていることを忘れていました。

そして、
「道具」「お金の引換券」として

ぞんざいに扱っていることに気づいてしまいました。

シロアリ発生事件

上記の通り、
心が死んでいることに気付いて間もなくの話です。

夏休みといえど、
部活もやりつつ、
夏季講習にも行きつつ、
適度に遊びつつ、
クワガタの飼育販売をしており、
忙しい日々でした。

そんな中、
重大事件が発生しました。

通販で大量購入していた産卵木と飼育マットを「一時的に」保管するつもりが、
販売で捌くのが遅くなり、夏の長い期間ずっと放置したままとなってしまいました。

クワガタに対する熱量も下がっていたことも要因かもしれません。

その結果、
玄関の下駄箱の下部でシロアリが発生しており、
その影響は軒下の広範囲に及んでしまっていました。

元々ボロ家だったため、
シロアリのリスクは非常に高かったのです。

父親にめちゃくちゃ怒られました。

心が死んでいたこともあり、
これを機に規模を縮小し、
全て売りに徹し、
クワガタの販売は終了することとなりました。

まとめ:「与えない教育」は取り扱い注意

以上、
「クワガタの販売で生計を立てた学生時代」についてでした。

まとめです。

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「与えない教育」で創意工夫した幼少時代
 ①家にインターネットもパソコンもなく、20万円貯金した小学生時代
 ②自分でインターネット料金を払い、お小遣い残高20円の中学生時代

クワガタの販売で生計を立てた学生時代
 ①「むし社」での仕入れ
 ②完全に趣味となった累代飼育(ブリード)
 ③「無料で趣味をする方法」を見つける
 ④コスパを考えて販売開始
 ⑤ヤフオクで、一夏10万円超の売り上げ

クワガタの販売をやめた理由
 ①倫理的な問題:心が死んでいく
 ②シロアリ発生事件

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その後も、
小遣い稼ぎのため、
高校時代・大学時代にクワガタの販売を小規模で再開することがありました。

むし社で1,000円のくじを引くこともなく、
300円のB品のスマトラヒラタのメス(ワイルド)を1匹だけ買い、
お金のためだけに繁殖・販売した時もありました。

小遣い稼ぎとしては、
正直コスパが良いです。
※タイムラグはありますが

しかし、
苦い思い出の影響が大きく、
スケールアップはする気になりませんでした。

なお、
販売先は「親戚の子供」と「ヤフオク」のみでした。

友達・同級生に販売を行わなかったのは、
「自分なりの良心」があったからじゃないかと思っています。

心の奥に、
後ろめたい気持ちがあったんだと思います。

繰り返しになりますが、
私にとっては「良かった話」です。

自分に良心が残っておらず、
シロアリ発生事件がなければ、
心を殺して、
命をぞんざいに扱う商売をスケールアップしていた可能性があります。

個人的には、
「与えない教育」は正義であるが、

諸刃の剣でもあるので、
取り扱い注意だと思っています。

「命をぞんざいに扱った」という、
「倫理的な罪悪感」があり、
あまり振り返りたくない話でした。

しかし、
この記事を書いていて、
すごく楽しかった思い出も蘇ってきました。

クワガタの飼育をしていた時ほど、
「心が動いていたこと」はないかもしれません。

あんなに純粋に、
何かを好きになり、
熱中したことはないな、
と思います。

大事な感情を思い出しました。

これからのサイドFIRE生活では、
自由な時間を生かして、
また新たに「心が動くこと」にチャレンジしたいと考えています。

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