【メメント・モリ(死を想え)】「今ここ」を生き、人生を充実させる思考【死生観】

⑥哲学者ごっこ

今回は、
『「今ここ」を生き、人生を充実させる思考』について、
「メメント・モリ(死を想え)」「死生観」の観点から書いていきます。

メメント・モリ(死を想え)という思考は、
「今ここ」を生きる上で非常に大切です。

死や最期について考えることで、
充実した余生を送ることにも繋がるのでおすすめです。

今回は、
「メメント・モリ(死を想え)」について、

その概念を解説していきます。

答えのない、
少し難しい哲学的な話ですが、
一緒に考えていただけると幸いです。

・集中力がない人
・将来への「ぼんやりとした不安」が拭えない人
・何もやる気が起きない人

必見です。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の構成は、下記目次の通りです。

メメント・モリ(死を想え)とは

「メメント・モリ(Mémento-Mori)」は、
ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味」を持つ言葉です。

この記事では、
分かりやすく「死を想え」に統一して記載していきます。

「死」を意識すること、
「人生の終わり」を意識することで、
「今ここ」を大切にしていけるという思考です。

本記事では、
私の経験による考え、
「正しい死の想い方」について述べていきます。

死への「適切な恐怖」により人生が充実する

戦争の少ない現代に生きる私たちは、
「死」をはるか遠くの存在だと考え、
忘れがちだと思います。

常に想い続けるのは難しいですが、
定期的に考える必要があります。

そして、
それは「適切な恐怖」であるべきだと考えています。

死はなぜ怖い?「剥奪説」という考え方

死を想うことが、
「今ここ」を生きる上で大事だということが分かりました。

少し掘り下げていきます。

死を想えば、
「今ここ」が映えます。

なぜ、
「今ここ」が映えるのか?

それは、
死が怖いからだと思います。

死が怖くて悪いもので避けたいものであるから、
その瞬間まで「今ここ」を大切にしようという気持ちも強くなります。

なぜ、
死が怖いのか?

それは、
死によって未来の全てを奪われるからだと思います。

死によって未来の全てを奪われるから、
死への恐怖感が強くなります。

死を想う

死によって未来の全てを奪われる

死が怖い

「今ここ」が映える

「剥奪説」という考え方があります。

「死が悪いものであるのは、
死が我々から生の善き点を剥奪するからである」
という説です。

「生の善き点」とは、
生きることで得られる全ての経験のことだと私は解釈しています。

死によって奪われるものが大きすぎるために、
死は悪く、
死は怖いのです。

私は小学生時代、
死への「過度な恐怖」がありました。

死を想い、
何度も眠れない夜を過ごしました。

思考を続けることで徐々に緩和されましたが、
小学生の頃の私にとって哲学は「恐怖」でしかありませんでした。
※別記事で詳しく書いています

死を忘れがちな現代、
死について考え慣れていない人が多く、
私と同じように死への「過度な恐怖」を抱く人も多いと思います。

ただし、
必要以上に死を恐れることは不適切です。

必要以上に死を恐れれば、
全てのことが無意味に感じ、
ニヒリズム(虚無主義)的な思想に至ってしまうでしょう。

「過度な恐怖」でなく、
「適切な恐怖」でなければ、
人生の良いスパイスとして機能しないと私は考えています。

そこで、
『「生まれてきた幸運」と「早死の不運」で相殺される』

という考え方をお勧めします。

「生まれてきた幸運」と「早死の不運」で相殺

私たちは、
奇跡的な確率でこの世に生まれてきました。

すでに、
「生まれてきた幸運」を持っています。

私たちの「生」に対し、
今ある命の数の比にならない量の「生まれてこなかった命」が存在します。
※この世界線には存在しませんが

「生まれてきた幸運」により、
私はすでに33年分の「生の善き点(悪しき点も)」を享受しています。

一方、
「生まれてこなかった命」、
とりわけ「同じ精液内に存在していた他の精子」は、
わずかな運命の差で33年分の「生の善き点」を剥奪されています。

他世界解釈で考えれば、
その「生まれてこなかった命」が存在する世界線も存在しますが、
ここでは「私が存在する世界線(つまり、この記事が存在し、あなたが存在する、この世界線)」だけを考えていきます。

もし明日私が死んたら、
一般的に「早死の不運」と呼ばれて哀れみを受ける年齢です。

人生100年時代において、
70年近い未来を「剥奪」されているからです。

しかし、
奇跡的に33年分の「生の善き点」を享受できているため、
「生まれてきた幸運」と「早死の不運」で相殺されるとも言えると思います。

明日死ぬのは嫌ですが
そのくらいの気持ちでいた方が楽です。

必要以上に死を恐れないため、
死を「過度な恐怖」「適切な恐怖」にスケールダウンされるために、
「生まれてきた幸運」と「生まれてこなかった命」に思いを馳せるのもお勧めです。

それだけで、
ほんの少しだけ今が映えます。

自殺は死をコントロールできる数少ない手段の1つ

また、
死は「いつやってくるか分からない」という性質を持つのも厄介です。

「不慮の事故で明日死ぬ可能性」は、
誰もが抱えて生きています。

これに対する「過度な恐怖」も避けなければなりません。

自殺者の中には、
「過剰な恐怖」に支配される思考回路の中で、
「自殺は死をコントロールできる数少ない手段の1つだ」という真実に気づき、
衝動的に自殺を選択する人も居ると聞きます。

死への「過度な恐怖」が「自殺」を促すという、
なんとも不可解な現象ですが、
かなり合理的ではあります。

死への「過度な恐怖」を「適切な恐怖」にスケールダウンするためには、
普段から死を想う訓練が必要だと考えています。

現代で死を想う難しさ:まずは身近なメメント・モリを見る

死を忘れがちな現代、
「死を想う」ことに慣れていないからこそ、
死への「過度な恐怖」を抱いてしまうと思います。

まずは、
身近な「メメント・モリ」から見ていくことをお勧めします。 

骸骨・ドクロなど「死」を連想させるモチーフ

「メメント・モリ」は、
古くから多くの文化で考えられてきた概念です。

戦に明け暮れていた古代ローマでは、
現代よりもずっと「死」が身近にありました。

戦により「明日には死ぬかもしれない」と死と隣り合わせの日々で、
「今を楽しめ」という言う意味合いで使用されていたようです。

骸骨・ドクロの絵や、
本物の遺骨を身近に置き、
常に「メメント・モリ」を心に刻んでいました。

一方、
海賊旗(ジョリー・ロジャー)は敵に「死」を連想させ、
「降伏しないと危害を加える」というメッセージを伝えるために使用されていました。

現代ではあまり馴染みがなく、
ドクロは「中二病」や「カッコつけ」のように捉われることが多く、
抵抗があるかと思います。

骸骨・ドクロなど「死」を連想するモチーフには、
「死を想う」効果があるということです。

街中で骸骨・ドクロなどを目にしたら、
「死」について考えてみてください。

海賊旗は、敵に「死」を想わせる

Mr.Children「花 -Mémento-Mori-」

私が「メメント・モリ(死を想え)」という言葉を知ったのは、
中学生の時でした。

Mr.Childrenの歌で、
「花 -Mémento-Mori-」という名曲があります。

この歌は、
「死」という直接的なワードを使わないところがお洒落だと思います。

花と同じように「自分という命」もいつか枯れ果てるからこそ、
自分の花を開花させ「今」この瞬間を謳歌していこうというメッセージが込められています。

また、
「心の中に永遠なる花を咲かそう」と締めくくるのも、
「いつか必ずやってくる死」に抗うかのようで、
「死への恐怖」が拭い切れない感じが切なくて好きです。

「花 -Mémento-Mori-」を聞いた時は、
「死」について思い出してください。

まとめ:死への「適切な恐怖」で「今ここ」を生きること

以上、
『「今ここ」を生き、人生を充実させる思考』について、
「メメント・モリ(死を想え)」「死生観」の観点から書いてきました。

まとめです。

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メメント・モリ(死を想え)とは
 →「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という思考

死への「適切な恐怖」により人生が充実する
 死はなぜ怖い?「剥奪説」という考え方

 →死が悪いものであるのは、死が我々から生の善き点を剥奪するからである
 「生まれてきた幸運」と「早死の不運」で相殺
 →「生まれてこなかった命」に思いを馳せるのがお勧め
 自殺は死をコントロールできる数少ない手段の1つ
 →「いつやってくるか分からない」という「過剰な恐怖」に注意が必要

現代で死を想う難しさ:まずは身近なメメント・モリを見る
 骸骨・ドクロなど「死」を連想させるモチーフ
 Mr.Children「花 -Mémento-Mori-」

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死に対する向き合い方はとても難しいです。

平和な現代社会において、
死は「遠い存在」として捉われがちです。

死について何も想わなければ、
人生は平坦でつまらないものになるでしょう。

一方、
死に対して「過剰に恐怖」することも問題です。

全てが馬鹿馬鹿しくなって「ニヒリズム(虚無主義)」に陥ったり、
最悪の場合は自殺を選択することもあります。

り返しになりますが、
メメント・モリには「程よい距離感」が大切です。

死への「適切な恐怖」によって、
「今ここ」を充実させて生きることができます。

今後の記事でも、
死への向き合い方について、
もっと詳しく書いていきたいと考えています。

ベストセラー書籍について

死生観を学ぶにあたり、
おすすめの本があります。

是非、
この本を読んでみて下さい。

本記事では、
私目線で切り取った情報のみを載せ、
アレンジしています。

当然のことですが、
個人の価値観により、
人それぞれ重要な情報は異なります。

自分の頭で考え、
自分の人生を生きるためにも、
是非手にとって読んでみて下さい。

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