【迷惑?】友達の子供にお年玉をあげる?絶対にあげない方が良いと思う理由【相場は0円】

⑤貧乏ごっこ - 1.思考編

先日、ムカつくことがあったので、書き綴ります。

結論から、友達の子供に対するお年玉の相場は「0円」だと思っています。

「友達の子供にお年玉をあげる文化」が日本のどこかに存在するのであれば、一刻も早く消え去って欲しいです。

みなさま、友達の子供へお年玉をあげるのはやめましょう。
迷惑ですし、面倒くさいです。
お願いです。

子供へのお年玉を要求してきた、元友人の話

年末:お年玉を要求

昨年末のある日、当時の友人A(既婚・2歳の子あり)と話していたときのことです。

Aは学生時代からの友人で、直近1年は縁があり、かなりの頻度で会っていました。

社会人になってからずっと疎遠でした。
7年ほど全く会わない期間があり、急激に距離が縮まったような、「微妙な関係」でした。
色々と話をする中、Aの子供の話になりました。

Aは笑いながら、「お前は翠くん(仮名)にお年玉いくらくれるの?」と聞いてきました。

Aは子供のことを溺愛しており、会うときに連れてくることもあったため、私も翠くんに3回ほど会ったことがあります。

しかし、私の人生において、「友達の子供にお年玉をあげる文化」は存在しませんでした。
私自身が、父親や母親の友人からお年玉をもらった経験がありません。
※もしかしたら、私の両親が突き返していたのかもしれません。

私の中でお年玉をあげる対象は、「血縁関係のある子供」でした。
これは、明確かつ、圧倒的にクリーンな線引きだと思います。
正直、これ以外の異論は認めたくないです。

そのため、
Aの言葉を受けた私は「つまらない冗談だなぁ・・・」と思いつつ、
「あはは・・・」と愛想笑い(苦笑い)でその場をやり過ごしました。

そして後日。
雑談の中で、Aは再び「お前は翠くん(仮名)にお年玉いくらくれるの?」と聞いてきました。

・・・正気か?

本気なのか?

冗談なのか、本気なのか、正直よく分かりません。

「親友」というわけでもないため、踏み込んで真意を確認するのも面倒です。

そして、「年明け、うちでパーティーしよう」など、年始の三が日で会うイベントを作ろうとしてきます。

正直、「めんどくせえ・・・」としか思えません。

私は「年末年始に会わなきゃ確実に回避できる」と考え、
適当な理由をつけ、年末年始はAと会わないことを選択しました。

本当に面倒くさく、会うのもめんどくさくなり、関わりたくなくなりました。

年始:ネチネチ文句を言う

年始の三が日を回避した私は、Aのお年玉のことなど忘れていました。
※正しくは「忘れようとしていました」。心の中ではずっとモヤモヤしていました。

1月の上旬にAと会った時、Aは露骨に不機嫌でした。

そして、
「Bは翠くんにお年玉くれたのになぁ、、、1万円。」と言ってきました。

そう、
Aからの要求を受けた別の友人B(めっちゃ優しい、良い奴)が、その圧力に負けてお年玉をあげてしまっていたのです。

しかも、1万円?

2歳児に、1万円?

相場考えろよ・・・

後日、Bに確認したところ、1万円という金額は「Aに言われるがまま、ノリで渡した」とのことでした。

その時、現場に居たであろう、Aの奥さんの精神も疑います。
2歳児にそんな大金、親として100%の力で突っぱねて欲しいです。
夫婦、似たもの同士なのでしょうか。ある意味、幸せだと思います。

Aは続けて言います。
「もしお前に子供ができたら、10万円渡してやるのに」
「そんで、『お前のお父さんはケチでくれないだろう、可哀想に』って言ってやる」

価値観の押し付けも甚だしいと思い、腹が立ちました。
価値観が違いすぎて、論点がずれすぎていて、本質がおかしい。
「こいつとは一生分かり合えない」と悟りました。

私は、イライラ・モヤモヤしつつ、私の考え(下記の内容)を伝えました。

友達の子供にお年玉をあげない方が良いと思う理由

与える教育は、わがままを生み出す

私は、自分自身の経験から「与えない教育」が正義だと考えています。
過去の記事にも記載しています。

「与える教育は、わがままを生み出す」と本気で思います。
私の「質素倹約」「欲望に負けない心」は、「与えない教育」が生み出してくれたものです。

対するAは、俗に言う「ドーパミン中毒」です。
欲望に忠実で、自分にも甘く、BMI25を余裕で超えるデブです。
健康診断で脂肪肝を指摘されながら、我慢することができず、毎日のようにラーメンを食べてます。

私と同水準の年収ですが、「平均より稼いでいる」というだけで、とても高級な生活をしています。

有り金は全て使い、星野リゾートですら「つまらん宿」と評していました。
翠くんに対しても、本人が「ディズニーランドに行きたい」と言えば、必ず連れて行ってしまいます。

翠くんは、思い通りにいかないことがあると大声で叫び、喚き散らします。
喚き散らせば、なんでも叶えてもらえるのでしょう。

つまり、翠くんは「与える教育は、わがままを生み出す」の典型例です。
欲望のままに生きており、ぶっちゃけ、クソガキです(喚き散らすの、うるさくて普通に迷惑です)。
先行きが不安で、可哀想だなぁ、と思います(余計なお世話)。

友人間でお金の貸し借りを作らない方が良い

結局は、お年玉は「親同士でのやりとり」であり、貸し借りが発生します。

友人間であれば、とにかく、気を遣うのが面倒臭いです。

前述の通り、私の中でお年玉をあげる対象は、「血縁関係のある子供」です。
異論は認めません。

兄弟間であれば、とてもクリーンなやりとりができます。
取り決めも容易です。

何より、姪っ子甥っ子は我が子のように可愛いので、「無償の愛」です。
心から与えたくなるので、返ってくることなど、一切考えません。
「与えすぎ」により義兄弟へ気を遣わせないよう、相場感を保つように気を遣うべきですが、正直、取り決めすら不要でしょう。

それを、
「2歳児に1万円」という、相場と乖離した金額を渡すよう促すとは・・・
※しかも、中身も外見も可愛くなく、愛情など一切ないクソガキ相手です。

いくらノリでも許されません。
思い出すだけで腹が立ちます。
クソつまらないです。

何より、「与える教育」を受けて、わがままに仕立て上げられる子供が可哀想だと思います

そして、Aから梯子を外される翠くんの未来が見えます。

〜近い将来の話〜

わがままになるように育てられ、欲望のまま、ブクブクと大きく育ち、
思い通りにいかないことがあると大声で叫び、喚き散らす翠くん。

そして、我慢の限界に達し、「わがままなこと言ってんじゃねえ!」と、キレるA。

翠くんは、困惑するでしょう。

こんな理不尽なこと、ありますか?

まとめ:友達の子供に対するお年玉の相場は「0円」

まとめです。

子供へのお年玉を要求してきた、元友人の話
 年末:お年玉を要求
 年始:ネチネチ文句を言う

友達の子供にお年玉をあげない方が良いと思う理由
 ①与える教育は、わがままを生み出す

  →「与えること」が正義ではなく、弊害の方が大きい
 ②友人間でお金の貸し借りを作らない方が良い

  →私の中でお年玉をあげる対象は、「血縁関係のある子供」

その後、Aとは様々なことでぶつかりました。

この「お年玉事件」と同じような価値観の違いは、いろんな場面で発生しました。

衝突を繰り返し、「一生分かり合えない」ということが分かり、今では関係が絶たれています。
なので、「元友人」です。

私も極端な考えを持つ傾向があり、悪かったと思います。

「お年玉事件」に関しては、この文章を書きながら未だにモヤモヤしてしまいますが、関係を断つことができてスッキリしている気持ちもあります。

繰り返しになりますが、
「友達の子供にお年玉をあげる文化」が日本のどこかに存在するのであれば、一刻も早く消え去って欲しいです。

みなさま、友達の子供へお年玉をあげるのはやめましょう。
迷惑ですし、面倒くさいです。
お願いです。

このような「お年玉事件」が、繰り返されないことを願っています。

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