今回は、
「サイドFIREの葛藤:無知の知のメリット・デメリット」についてまとめていきます。
私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。
サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。
悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。
・勉強すればするほど知識不足を痛感している人
・無知の知のメリット・デメリットを知りたい人
・これからサイドFIREやFIREを目指す人
必見です。
サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。
〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人
〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。
〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ
本記事の目次は下記の通りです。
勉強すればするほど、知識不足を痛感する
私はサイドFIREのような生活を始めてから4ヶ月ほど経ち、
自由な時間を生かして図書館に通い、
日々勉強をしています。
哲学の沼にもハマり、
「ずっと頭を動かしている」と言っても過言ではありません。
※「哲学の沼にハマるデメリット」については下記記事でまとめています
哲学の沼も危険ですが、
勉強の沼も危険です。
世の中には情報が多すぎるのです。
図書館には一生かけても読み切れないほどの本があり、
たとえ今後50年かけて毎日通い続けたとしても、
到底学びきれるものではありません。
たった数ヶ月ですら、
勉強すればするほど、
知識不足を痛感する日々です。
この知識不足に絶望し、
不安に襲われるような感覚すらあります。
それは、
未知の領域の勉強にチャレンジしているからかもしれません。
直近の話を挙げると、
FIREと関わりの深い「資本主義社会」について学んだ時、
まさに知識不足に絶望しました。
※後日、いくつかの記事にまとめる予定です
理系の私にとっては無縁の世界であるため、
「世の中には知らないことが多すぎる」という感覚に陥るのです。
これは、
よく言われる「無知の知(不知の自覚)」でもあると考えています。
「無知の知」は、
「いかに自分が無知であるということを自覚すべき」を説いたものです。
「知識不足を痛感する」ということは、
「無知であることを自覚している」ことの証明だと思い、
まずは前向きに捉えることとしました。
無知の知(不知の自覚)のメリット
無知の知のメリットを2つ挙げ、
それぞれについて詳しく解説します。
知的に謙虚になれる
「無知の知」の「いかに自分が無知であるということを自覚すべき」という考え方は、
言わずもがな素晴らしい思考です。
特に日本人の美徳にマッチしており、
「謙虚」と呼ぶべき姿勢だと考えています。
それと真逆の、
「知ったかぶり」や「知ったような気になっている」、
厚顔無恥な態度はいただけません。
「無知の知」により、
知的に謙虚になれるのが大きなメリットです。
貪欲な姿勢で学び続けることができる
勉強すればするほど、
「無知の知」によって知識不足を痛感します。
そんな日々を送ると、
貪欲な姿勢で学び続けることができます。
私も薬剤師国家試験の勉強中、
勉強すればするほど知識不足(覚えていないこと・忘れてしまったもの)が露呈し、
耐えがたい不安に襲われたことがありました。
その不安のおかげで最後の追い込みを頑張れたので、
受験生にとってはかなり重要な姿勢です。
また、
1つの領域に限ることなく、
生涯学びを続ける原動力にもなるでしょう。
無知の知(不知の自覚)のデメリット
無知の知のメリットを挙げましたが、
決して良い面だけではありません。
私が最近強く感じているのは、
このデメリットです。
無知の知(不知の自覚)のデメリットを2つ挙げ、
それぞれについて詳しく解説します。
※あくまで個人的な考えです
不安のループにハマる
前述の通り、
「無知の知」によって知的に謙虚になり、
貪欲な姿勢で学び続けることができます。
これは「ゴールがある」試験の類では大きな効果を発揮しますが、
「ゴールのない」自由な学びに対してはとんでもない悪さをします。
私も薬剤師国家試験という範囲が定められた「有限」である試験ですら、
最終的に80%程度の得点率であり、
どうにも間に合わずに「捨てた」分野も一部ありました。
前述の通り、
勉強すればするほど知識不足が露呈し、
耐えがたい不安に襲われました。
それでも、
「試験日」というゴールが決まっている学習であれば、
ある程度妥協をしつつ勉強を進め、
「合格点」を取ることで終わりを迎えます。
しかし、
「ゴールのない」自由な学びにおいてはそれが効きません。
しかも、
範囲が定められていない「無限」という性質も持つため、
とても厄介です。
国家試験などで感じる「知識不足」と、
自由な学びで感じる「知識不足」は次元が違います。
「あれもこれも知らない」では飽き足らず、
「ほぼ何も知らない」の域に達する勢いです。
知識不足に絶望し、
不安に襲われます。
まるで「知識不足」の暴力を受け続け、
サンドバックになったような気分です。
かくいう私も、
ここ最近はこの「不安のループにハマる感覚」に陥っています。
これが過剰な不安にならぬよう、
気を付けなければなりません。
勉強により行動が疎かになる
そして、
不安のループにハマることは、
メンタル面の問題にとどまりません。
メンタルに支障をきたすことなく、
知的に謙虚になり貪欲な姿勢で学び続けることができたとしても、
圧倒的に時間が足りないのです。
図書館には一生かけても読み切れないほどの本があり、
たとえ今後50年かけて毎日通い続けたとしても、
到底学びきれるものではありません。
その行為は100%肯定できるものではなく、
「貴重な時間を奪い続ける」とも言えます。
どこかで妥協する必要があり、
自分で範囲を決めて「無限」を「有限」とし、
自由な学びにも「ゴール」を設定しなければなりません。
これは、
「勉強により行動が疎かになる」とも言えるでしょう。
哲学の沼と同じように、
勉強の沼も危険だということです。
行動しなければ、
まるで意味がありません。
当たり前の話ですが、
「勉強よりも行動」です。
まとめ:どこで妥協し、どこまで学ぶかが一番の課題
以上、
「サイドFIREの葛藤:無知の知のメリット・デメリット」についてでした。
まとめです。
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勉強すればするほど、知識不足を痛感する
→知識不足に絶望し、不安に襲われるような感覚すらある
無知の知(不知の自覚)のメリット
①知的に謙虚になれる
→「いかに自分が無知であるということを自覚すべき」は素晴らしい
②貪欲な姿勢で学び続けることができる
→不安に襲われることもあるが、受験生にとって重要な姿勢
無知の知(不知の自覚)のデメリット
①不安のループにハマる
→「ほぼ何も知らない」の域に達し、不安に襲われる
②勉強により行動が疎かになる
→自由な学びにも「ゴール」を設定しなければならない
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私は「自由な時間」を手にして以降、
ますます圧倒的時間不足を感じています。
哲学や勉強によりそれを痛感しているということで、
「有益な時間を過ごせている」ということにしましょう。
とにかく、
有限な時間をどう使っていくかが問題です。
どこで妥協し、
どこまで学ぶかが一番の課題だと考えています。
自由な学びに対し、
自分で範囲を決めて「無限」を「有限」とし、
「ゴール」を設定していくつもりです。
そこでまず第一に、
「選択と集中」について考えましたが、
どうやらこれにもメリット・デメリットがありそうです。
次回、
「選択と集中のメリット・デメリット」について書いていきます。
↓
その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。
※是非読んでみてください
↓
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