【副作用あり、注意!】『中途半端人間』から『ストイック病患者』へ変貌した男の話【成長記録】

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今回は、
「中途半端人間」「ストイック病患者」について書いていきます。

・中途半端な人生を送っている人
・ストイックに打ち込むものを見つけたい人

必見です。

本記事の構成は、下記目次の通りです。

はじめに:『中途半端人間』→『ストイック病患者』への変貌

解説6:悪徳業者を潰して得られたモノ10選、悪徳業者への感謝でも記載しましたが、
私は『正義の味方ごっこ』を経て、
無気力な『中途半端人間』から『ストイックな人間』に成長しました。

そして、
リミッターが外れ、
行き過ぎて「ストイック病患者」へと変貌を遂げました。

※何事にもストイックになりすぎる病気のこと(造語)。

おそらく、
過去に何も頑張ってこなかったことによる反動だったと思います。

私は無気力な『中途半端人間』であった期間が、
あまりにも長すぎました。

心の中に残る全ての後悔をぶつけるが如く、
目の前のことに没頭しました。

そのストイックさが仇となり、
私は社会人になってから大きくメンタルを崩すこととなります。

過労によりうつ病になりました。

なので、
現在はストイックになりすぎないよう、
何事も『ゆるく』をテーマにして中和しています。

うつ病経験については、
別記事で詳しく書く予定です。
参考①:【うつ病は甘え?】知らぬ間にうつ病になっていた元社畜からのアドバイス
参考②:【早期発見が一番】うつ病は、全ての希望を壊す【健康なうちに逃げろ!】

私はストイックに生きすぎて辛い経験もしましたが、
それでもなお、

『中途半端人間』でずっと居るよりも『ストイック病患者』になって良かったと思っています。

若いうち(20代まで)はできる限りストイックに生き、
自分の限界までチャレンジすることをオススメします。

但し、
30歳になったら心身ともに老いるので、
無理は禁物です。

詳しくは後述しますが、
私の経験上、
『中途半端人間』の中途半端な行動は勘違いを生み、
人生において大きな選択ミスを誘発すると考えるからです。

ストイックに生きることにより、
自分の限界を知ることで、
人生において最良な選択ができると考えています。

私がそのような思考を持つに至った、
『ストイック病患者』時代の2つの経験について書きたいと思います。

『ストイック病患者』のイメージ図

『ストイック病患者』時代の2つの経験

卒業旅行が学会発表だった男の話

私が『ストイック病患者』になりたての時の話です。

大学4年生〜6年生の3年間、
『正義の味方ごっこ』の傍ら、
有機化学の研究に没頭していました。

当時、
『正義の味方ごっこ』と『研究』が私の生きがいでした。

とあるがん治療薬がバックグラウンドにある有機化学の研究を選び、
心の中に残る全ての後悔をぶつけるが如く、
研究に没頭しました。

新規化合物を自分の手で生み出すことが生きがいで、
15個の新規化合物を合成し、

「我が子」とも呼べるその化合物たちの測定データを揃え、
新しい知見を見出し、
何度も学会に参加しました。

卒業する年の3月末にも学会発表の予定を入れ、
卒業旅行は教授たちとの学会発表でした。

それほど、
研究にストイックになり、
没頭していました。

当時、
私は自分の頭と腕に大きな自信がありました。

週6〜7で研究し続けても飽きることなく、
「研究こそが私の天職である」と思い、
大学院に進むことを本気で考えていました。

このまま研究を続ければ、
将来は大学教授になれると信じて疑いませんでした。

しかし、
ある学会発表の時、

意気揚々と口頭発表に臨んだ私に、
京都大学の教授が現実を突きつけました。

たった8分の私の発表を聞いただけで、
私がこれまで考えつかなかった穴を指摘してきたのです。

『私が誰よりも詳しく知っているはずの研究』だったため、
大きな衝撃を受け、
無力感に包まれました。

私の頭は真っ白になり、
その質疑応答において大勢の聴衆の前でみっともなくキョドってしまいました。

まさに地獄でした。

今でも、
たまに寝る前に思い出し、
布団の中で叫びたくなります。

これまで積み上げてきた自信と、
大学院へ進むという選択肢が、
見事なまでに綺麗に消え去った瞬間でした。

非常に悔しかったですが、
とても晴れやかな気分で、
妙にスッキリした事を覚えています。

そもそも、
私は20歳まで無気力な『中途半端人間』でした。

そのことを完全に忘れていました。

勉強も部活も全て中途半端で、
努力している人間を僻んで妬み、
貴重な時間を浪費するだけの人生でした。

当然、
大学受験も上手くいくはずがなく、
惰性で1年浪人し、
それでも国立大学の受験すらせず、
私立の中堅薬学部に入学した人間でした。

そんな人間が、
たった2ー3年ストイックに生きたところで、
国立大学の超エリートに敵うはずがありません。

私は、
私立の中堅薬学部の中で調子に乗り、
勘違いをしていたのです。

しかし、
私は『ストイック病患者』になったことで、

その勘違いに気づくことが出来ました。

ここまで頑張らなければ、
京都大学の教授に出会うことも出来ず、
勘違いしたまま大学院に進んでいたことでしょう。

ただの『ストイックな人間』であったら、
一番危険だったかもしれません。

度が過ぎた『ストイック病患者』であったことが、
私を救ったと考えています。

そんな私を横目に、
ろくに学会発表も経験していない他の研究室の学生2人が大学院に進みました。

彼らは大学院入学後に大変な目に遭ったと聞いています。

私が大学院に進む世界線がどのような世界線であったか、
今は知る由がありません。

もしかしたら、
その世界線の方が充実していた可能性もあります。

人生の選択に正解などありませんが、
私はストイックに全力で頑張り、

様々な経験により自分の限界を知り、
大きな勘違いに気づき、
自分の信念を持った選択が出来て良かったと思っています。

ボロボロになるまで追い込んだ研究の日々は、
私にとって大きな財産です

管理職に出世し、自分が社会不適合者であることを知った男の話

私は社会人になってから、
めちゃくちゃストイックに出世を目指しました。

入社後、
圧倒的な結果を残し、
27歳で一部上場企業の管理職に昇進しました。

最速出世と持て囃され、
当時はとても嬉しく、
モチベーションも最高潮でした。

しかし、
1人プレイで結果を残すことは得意な私も、
チームプレイは非常に苦手でした。

思い返せば、
『ストイック病患者』になってからこなしてきた『正義の味方ごっこ』も、
有機化学の研究も、
出世のためのアピールも、
ほとんどの場面で1人プレイor少人数プレイでした。

管理職では、
全社員の行動指針(キマリ)を決め、
指示を出すことが重要な仕事の1つでしたが、
それが究極に苦手でした。

他人へ行動を指示すること全てが、
アドラー心理学で言う『他人の課題』であると思えてしまいます。

正直、
他人が行動しようがしまいが、
私には関係ありません。

数人ならともかく、
数百人の行動などコントロールできるはずがありません。

他人が上手く行動しないことで、
「お前の指示が悪い」と、
私の評価が下がりました。

ムカつきました。

私なりに創意工夫し、
努力しましたが、
どうあがいても上記思考からは脱することができませんでした。

私は、
独りよがりの社会不適合者だったのです。

また、
飲み会などのゴマスリ大会も苦手でした。

『飲みマナー』がなっておらず、
「目上の人間への態度がなっていない」と何度も怒られました。

飲み会は時間の無駄だとしか思えず、
二次会に行きたくなかったため、
挨拶なしでこっそりと帰り、
何度も怒られました。

※挨拶したら絶対に引き留められるので、挨拶するわけないでしょう?

そもそも、
普段から「まともに挨拶が出来ていない」と、
日常的に繰り返し怒られていました。

※ちゃんと挨拶はしていましたが、飲み会翌日の「お礼」などが面倒で一切しませんでした
何故、嫌々参加した飲み会の「お礼」をしなきゃいけないのか?

単純に、
集団行動や堅苦しい礼儀が苦手です。

開き直りますが、
私は「礼儀にうるさい古臭い人間」が大嫌いです。

そんな私も、
管理職に昇進して2年間はモチベーションも高く猛烈に頑張りました。

得意な1人プレイor少人数プレイの仕事ばかりを選び、
苦手な仕事から逃げていました。

私が第一人者に指名された新しい役職であり、
自由度が高かったため、
しばらくはそれが可能でした。

しかし、
厳しい上司に目をつけられ、
徐々に逃げられなくなります。

管理職だったため、
残業という概念がなく、
仕事をやればやるだけ新しい仕事が与えられ、
日に日に仕事量が増えていきました。

得意な仕事ばかりの時は激務も楽しむことができ、
上手くサボれていましたが、
3人分の仕事を任されて以降、
徐々に苦手な仕事の割合が大きくなり、
仕事の効率もボロボロになります。

土曜日も日曜日も終日仕事をするようになり、
自分で結果がコントロールできない仕事が苦痛で仕方なく、
心身ともに限界に近づきました。

ある日、
会社に行けなくなり、
うつ病と診断されました。

不本意ではありましたが、
サラリーマンで出世して生きていく道は諦めました。

私なりに挑戦し、
大きな経験をすることで「社畜は不向きである」と学んだため、
悔いはありません。

私は『ストイック病患者』であったため、
自らの『社会不適合者』を早期発見できました。

ろくに頑張らず、
普通のスピードで出世していたら、
30代後半や40代でこの真実に気づいたことでしょう。

その時、
結婚して家庭を持っていれば、
ストレスにまみれた不向きな管理職の仕事を続けざるを得ない状況となっていたかもしれません。

そう思うと、
ゾッとします。

精神的にはかなりしんどかったですが、
私は早期発見できて良かったと思っています。

話は変わりますが、
近年は「出世したくない」人が増えていると聞きます。

私は社畜時代に教育担当も兼任していましたが、
そのようなやる気のない人材もたくさん目にしてきました。

さらに、
私の出世欲を馬鹿にし、
陰口を叩くだけしか能のない、
年上の『出世できない』人間も数名目にしてきました。

会社という組織は、
残酷にもピラミッド構造です。

その中で「出世したくない」とくすぶるのではなく、
ストイックに真剣に生きることをオススメします。

過労死レベルに働きましたが、とても良い経験でした

まとめ:『ストイック病患者』のメリットとデメリット

以上、
「中途半端人間」「ストイック病患者」についてでした。

まとめです。

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はじめに:『中途半端人間』→『ストイック病患者』への変貌
 →『中途半端人間』の中途半端な行動は勘違いを生み、
  人生において大きな選択ミスを誘発する

『ストイック病患者』時代の2つの経験
 ①卒業旅行が学会発表だった男の話

  →『ストイック病患者』のおかげで、勘違いに気づくことができた
 ②管理職に出世し、自分が社会不適合者であることを知った男の話

  →『ストイック病患者』のおかげで、自らの『社会不適合者』を早期発見できた

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私個人の意見ですが、私の経験上、
『ストイック病患者』はメリットの方が大きいと考えています。

私なりにストイックに挑戦をし続け、
多くの経験することで、
自分が納得する選択肢を選ぶことができています。

有機化学の研究でも、
社会人の管理職でも、
『正義の味方ごっこ』でも、
ストイックにチャレンジすることがなく、

『中途半端人間』のままであれば、世界は一変していたはずです。

中途半端な実力を過大評価して大学院に進んでしまったり、
中途半端な出世でダラダラと会社に依存し続けたり、
中途半端な『正義の味方ごっこ』では今も悪徳業者を潰せていなかったことでしょう。

人生の選択に正解などありませんが、
私はストイックに全力で頑張り、

様々な経験により自分の限界を知り、
自分の信念を持った選択が出来て良かったと思っています。

『ストイック病患者』の唯一のデメリットは、
副作用によるメンタル崩壊です。

うつ病になるまで自分を追い込んではいけません。

私は気づかないうちに精神を病んでいました。

その副作用対策として、
『ストイック期』と『ゆる期(ゆるく生きる時)』を設けることをオススメします。

『ストイック期』ばかりにならないよう、
定期的に『ゆる期』で息抜きすることを忘れないでください。

『ゆる期』にオススメの書籍が2つあるので、
紹介します。

是非、
読んでみてください。

どちらもかなりゆるいため、
『ストイック期』に読むとイライラすると思います。

しかし、
これくらいのゆるさがちょうど良いのです。

ストイックの裏に、
このゆるさを持ち合わせていれば、
追い込みすぎる危険性は減るでしょう。

人生には息抜きが必要です。

私はメンタルを崩して以降、
何事も「ゆるく」をモットーに生きていますが、
人生の重要な選択肢の多い20代までは全力を尽くし、

『ストイック病患者』になることを強くオススメします。

何事も、
早期発見が一番です。

『ストイック病患者』はそれを可能にすると考えています。

1つの参考にしていただけると幸いです。

栃木県那須郡那須町

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