今回は、
『サイドFIREの葛藤:「成功はアート、失敗はサイエンス」は本当か?失敗信仰を解剖』についてまとめていきます。
私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。
サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。
悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。
・「失敗信仰」に陥っている人
・これからサイドFIREやFIREを目指す人
必見です。
サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。
〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人
〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。
〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ
本記事の目次は下記の通りです。
「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつける方法
前回の記事で、
『「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつける方法』についてまとめました。
※以下、要点を抜粋して記載します
「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由
→行動に移そうと決心しても、
実際にそれを行動に移すことは難しい
「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつける方法
①「安全な失敗の場」を設定する
→失敗のハードルを下げ、恐怖心を減らす
②「失敗の定義」を再構築する
→失敗を細分化することで矮小化し「挑戦したこと自体」も評価する
③失敗を「データ」として活用する
→「”無駄死にする失敗”からも得られる教訓がある」と知る
④「失敗を共有する場」を持つ
→”失敗を受け入れる文化”を作ることが効果的
⑤「失敗後のルーティン」を作る
→失敗後に何をするかを予め決めておく
↓【参考書籍】↓
「たくさん失敗しよう」というスローガンを具体的な行動に移すには、
失敗を単なるネガティブな結果として捉えるのではなく、
計画的に活用する視点が必要です。
失敗のハードルを下げ、
挑戦の過程を評価し、
得られる教訓を最大化するための仕組みを整えることで、
「失敗」を前進するための力に変えることができます。
さらに、
失敗を共有し合い、
ポジティブに受け入れる環境を築くことで、
孤立感を減らし、
より積極的に挑戦できる土壌を育てることが可能です。
そして、
失敗後に落胆して終わるのではなく、
次のステップに進むためのルーティンを決めておくことも大切です。
失敗は恐れるものではなく、
”無駄死にする失敗”は幻想である可能性が高く、
全ての失敗は活用すべき「資産」に違いありません。
失敗を恐れず、
科学的に向き合うことで、
自分自身の成長を楽しむ人生を築いていけると信じています。
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉を信じ、
前向きに捉えることが最も重要かもしれません。
しかし、
失敗を科学的に捉えることは大切ですが、
「失敗はサイエンス」という考え方にも盲点が存在すると考えました。
特に失敗を賛美しすぎるような「失敗信仰」には注意が必要です。
本記事では、
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉を過信することがもたらす落とし穴について深掘りしていきます。
「成功はアート、失敗はサイエンス」は本当か?失敗信仰を解剖
「失敗信仰」への問い
ビジネスや成功哲学において、
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉はよく引用されます。
「失敗を恐れるな」「失敗は成功の母」といったメッセージが強調され、
「失敗信仰」とも言える風潮が広がっています。
多くの経営者や成功者がこの言葉を賛美し、
”失敗から学ぶこと”の重要性を説いています。
確かに正論であり、
この言葉を信じることにより、
「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつけることが可能です。
私自身もこの考えに納得する部分がありますが、
一方で行きすぎた「失敗信仰」にはどこかモヤモヤを感じてしまいます。
それは、
「成功はアート」
「失敗はサイエンス」
と分断していることが原因だと考えました。
本記事では、
「成功がサイエンスになる時」
「失敗がアートになる時」という逆説的な視点を取り上げ、
この言葉の本質に迫りたいと考えています。
成功はアートなのか?
一般的な解釈として、
「アート」とは再現性がなく、
創造性に基づく成果を指すことが多いです。
そして、
成功は偶然や幸運に支えられた側面があり、
再現性に乏しいことから、
「アート」であると解釈されています。
そんな従来の解釈に反し、
成功が「サイエンス」になる時を考えると、
下記の通りです。
【成功が分析可能で再現性を持つ場合】
例1: 経営手法の体系化
過去の成功例を分析し、法則性やベストプラクティスを抽出可能な場合
(トヨタのカイゼンなど)
例2: データに基づく予測
ビッグデータやAIを活用して成功パターンを予測できる場合
例3:うまくいかない1万通りの方法を発見することで成功に行き着く場合
「失敗がサイエンス」であるならば、その先にある成功もサイエンスであるという考え方
成功の要素には、
分析だけでは測れない「タイミング」や「感性」が含まれるのは事実であり、
特に革新や突破口を開く成功は、
計算や科学だけでは導けないことが多いです。
20年前に成功できた手法を真似ても、
5年前に成功できた手法を真似ても、
今から成功することは間違いなく不可能でしょう。
一方で、
成功には過去の経験や規律といった「計画的な要素」も含まれているのも事実です。
エジソンの「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」という言葉は、
「失敗も成功もひっくるめたサイエンスだ」と捉えること出来ます。
故に成功は完全な「アート」と言い切るのは難しく、
「アート」と「サイエンス」が交錯する領域にあると考えられます。
これまでの人類の歴史を紐解き、
IT革命によるデータ分析が進化すれば、
成功における「サイエンス」の要素が今より大きくなるかもしれません。
失敗はサイエンスなのか?
一般的な解釈として、
「サイエンス」とは再現性が高く、
分析可能な成果を指すことが多いです。
そして、
失敗は原因を特定することが容易であり、
再発防止策を講じることで学びを得るプロセスとされ、
「サイエンス」であると解釈されています。
そんな従来の解釈に反し、
失敗が「アート」になる時を考えると、
下記の通りです。
【失敗が創造性や偶然性を伴う場合】
例1: 偶然の失敗から生まれる革新
ペニシリンのように「意図せぬ失敗」が新しい価値を生む場合
例2: 主観的な視点での再解釈
他者には「失敗」と見える出来事を、本人が「成功への過程」と再定義する場合
「失敗はサイエンス」という主張は、
失敗をデータや事例として分析し、
次の挑戦に役立てることを示唆しています。
この考えは正しいものの、
失敗が常に価値あるデータを提供するわけではありません。
創造性を伴う失敗の価値は、
再現性の低いものもあり、
分析できないこともあります。
ただ闇雲に失敗を繰り返すだけでは、
学びが生まれないどころか、
”無駄な分析”により疲弊してしまうこともあるのです。
「失敗信仰」の落とし穴
以上の内容を踏まえ、
「失敗信仰」の落とし穴を3つ挙げ、
それぞれについて詳しく解説していきます。
失敗の過大評価
すべての失敗が有益であるわけではなく、
失敗の中には明らかに回避可能なもの、
無駄なものも存在します。
「失敗信仰」に陥り、
失敗が過度に称賛されることで、
「失敗すること自体」が目的化されるリスクがあります。
本来は「失敗から学ぶこと」が重要であるにも関わらず、
失敗そのものが評価される風潮は危険です。
無駄な行動を正当化する危険
目的のない挑戦や無謀な挑戦、
準備不足の無駄な行動を「失敗への挑戦」と誤解することがあります。
失敗を受け入れる準備が整っていない場合、
挑戦が自体が「アート」と化したり、
ろくに分析もできずに逆効果となります。
失敗を崇拝するあまり、
必要な準備や計画を怠ることは、
「失敗信仰」の弊害と言えるでしょう。
成功の軽視
「成功はアート」と信じ、
「成功なんてどうせ偶然だ」と片付けられることで、
成功に至るまでの努力や計画が見過ごされることがあります。
成功者の成功体験は分析に値しないと思え、
単なる「幸運」と捉える危険性を孕んでいます。
成功者の努力や経験を安く見積もる行為は、
傲慢でしかありません。
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉を口にして良いのは、
”1万回の失敗を経て成功した人間”だけかもしれません。
まとめ:成功と失敗を融合し、「成功はアート、失敗はサイエンス」を再定義する
以上、
『サイドFIREの葛藤:「成功はアート、失敗はサイエンス」は本当か?失敗信仰を解剖』についてでした。
まとめです。
ーーーーーーーーーー
「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつける方法
→失敗は恐れるものではなく、活用すべき「資産」
「成功はアート、失敗はサイエンス」は本当か?失敗信仰を解剖
・「失敗信仰」への問い
→失敗を賛美しすぎるような「失敗信仰」には注意が必要
・成功はアートなのか?
→成功には過去の経験や規律といった「計画的な要素」も含まれている
・失敗はサイエンスなのか?
→失敗が常に価値あるデータを提供するわけではない
・「失敗信仰」の落とし穴
①失敗の過大評価
②無駄な行動を正当化する危険
③成功の軽視
ーーーーーーーーーー
成功と失敗は、
「成功はアート」「失敗はサイエンス」と分断できるものではなく、
補完関係にあります。
成功にも失敗にも、
「アート」と「サイエンス」の両面が共存しているのです。
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉を、
失敗を賛美して「失敗信仰」として捉えるのではなく、
両者の役割を再評価するきっかけとして捉えるべきだと考えました。
成功には直感や創造力が必要であり、
そこには計画的な要素も含まれます。
同様に、
失敗は科学的に分析する価値がある一方で、
すべての失敗が有益なわけではありません。
成功と失敗を固定的に分類するのではなく、
それぞれの状況に応じて柔軟に捉えることが重要だと思います。
成功を偶然で終わらせずに再現性を模索することも、
失敗に創造性を見出すことも可能です。
成功も失敗も、
それぞれの特質を理解し、
それぞれを活かすことで新たな挑戦が生まれると考えました。
少しでも参考にしていただけると幸いです。
その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。
※是非読んでみてください
↓
↓こちらもおすすめ↓
・貧乏ごっこの概要
・お金の後悔シリーズ
・ゆるいポイ活
・サイドFIREの概要
・サイドFIREの達成戦略
・9年で4,000万円作った過程
コメント