【失敗信仰】「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由【サイドFIREの葛藤】

⑥哲学者ごっこ

今回は、
『サイドFIREの葛藤:「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由
についてまとめていきます。

私は30代前半で4,000万円の資産を作り、
サイドFIREのような生活をしています。

サイドFIRE生活の中では、
様々な悩みや葛藤があります。

悩みや葛藤は割とネガティブなものですが、
私なりにそれらをポジティブに転換しています。

・「たくさん失敗しよう」と思ってもなかなか失敗できない人
・これからサイドFIREやFIREを目指す人

必見です。

サイドFIREへ向けた予習として参考にしたり、
共感していただけると嬉しいです。

〈この記事の対象者〉
・FIREやサイドFIREに興味がある人
・労働から解放されたい人
・今より自由に生きたい人

〈注意点〉
筆者の経験と考えを書いていきます。
共通点が多いほど参考になると思います。

〈筆者の特徴〉
30代前半、独身、超倹約家、元社畜、元薬剤師、ゆるいミニマリスト、賃貸暮らし(基本社宅で自己負担小)、負債ゼロ

本記事の目次は下記の通りです。

失敗信仰:「失敗の科学」「失敗はサイエンス」

「たくさん失敗しよう」という言葉は、
多くの成功者の口から発せられるスローガンです。

「失敗の科学」はベストセラーになりました。

「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉も有名です。

”失敗を恐れず挑戦することの重要性”を説くこの言葉には説得力があり、
モチベーションを上げるのに役立ちます。

この失敗への過剰なまでの賛美は、
「失敗信仰」とも呼ぶべきでしょう。

その一方で、
”実行に移すのが非常に難しい”という現実があります。

多くの人において、
ただのスローガンで終わってしまうのです。

本記事では、
なぜこのスローガンが現実の行動に結びつかないのか、
その理由を深掘りしていきます。

「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由

「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由を5つ挙げ、
それぞれについて詳しく解説していきます。

以下5つです。

 ①失敗に対する恐怖は本能的なもの
 ②「たくさん失敗しろ」の曖昧さ
 ③「成功至上主義社会」の存在
 ④成功した人の「失敗談」が美化されている
 ⑤失敗の受け止め方に慣れていない

失敗に対する恐怖は本能的なもの

まず、
いくら失敗を賛美しても、
失敗に対する恐怖心を拭い切ることは出来ません。

失敗を避けることは、
進化的な観点から見ると種の存続や生存に直結した重要な要素です。

社会的な評価やリスクを避ける心理が働くため、
頭では「失敗してもいい」と分かっていても、
心は無意識にブレーキをかけてしまいます。

失敗を恐れる気持ちは、
人間の本能や社会的な影響によるものであり、

やむを得ないのです。

失敗することで恥ずかしい思いをする、
評価が下がる、
将来に悪影響を及ぼすといった潜在的な不安が行動を妨げます。

故に、
失敗を避けるような選択をしてしまうのです。

「たくさん失敗しよう」の曖昧さ

「たくさん失敗しよう」という言葉を強く念じても、
それを実現させることは非常に難しいと思います。

「たくさん失敗しよう」という言葉に、
具体性が不足しているからです。

スローガンはシンプルで耳に残る反面、
「どう失敗すれば良いのか」「何を失敗とするのか」といった具体性が不足しがちだと思います。

結果として、
「失敗」が行動指針として曖昧になり、
実際の行動には結びつかないことが多いです。

「たくさん失敗しよう」という言葉は漠然としすぎていて、
何をどう失敗すれば良いのかがわかりません。

具体的な行動指針がないため、
ただの掛け声で終わってしまうことが多いのです。

「成功至上主義社会」の存在

「失敗信仰」が流行しているとはいえ、
この社会は「成功至上主義社会」であることは否定できません。

最終的には成功や成果だけが評価される、
「成功至上主義社会」なのです。

「”成功につながる失敗”だけが賞賛される環境」
と言っても良いでしょう。

あくまで失敗は成功のための過程であり、
間違いなく血の滲むような努力が必要です。

そして、
失敗はその後の成功を保証するものではありません。

「たくさん失敗しよう」と決意しても、
”無駄死にする失敗”を回避してしまう心理は非常に人間的だと思います。

理屈では理解しても、
感情的に抵抗感を抱くのは当然です。

成功した人の「失敗談」が美化されている

結局のところ、
成功した人の「失敗談」が美化されているだけであり、
再現性に乏しい結果論でしかありません。

失敗を積み重ねている時期は、
筆舌に尽くしがたい絶望と、
出口の見えない不安に押し潰されそうになります。

その先の成功は保証されることはなく、
”無駄死にする失敗”でボロボロになった屍が、

そこらじゅうにゴロゴロしていることを潜在的に理解しています。

そして、
たまたま成功に行き着いたのが、
「失敗信仰」を布教する成功者なのです。

多くの成功者が自らの失敗談を語りますが、
それが結果的に”成功につながる失敗”だけを美化することにつながります。

読者は”成功につながる失敗”にしか価値を感じなくなり、
”無駄死にする失敗”を恐れ、
行動のハードルが上がるというパラドックスに陥りやすくなります。

失敗の受け止め方に慣れていない

そして、
”成功につながる失敗”を積み重ねてきた成功者以外の人間は、

「失敗を乗り越える経験」に乏しいです。

誰もが最初は初心者であるため、
当たり前の話です。

失敗をどう処理し、
そこから学ぶかというプロセスに慣れていない場合、
失敗そのものが大きなストレスとしてのしかかります。

結果として、
敗戦処理に心を折られ、
次の挑戦への意欲が削がれてしまうこともあると思います。

失敗に直面した後、
それをどう乗り越え、
次に活かすかを体験的に学んでいないと、
「失敗」そのものが大きな障壁に見えてしまうのです。

特に初めての失敗は、
心理的負担が大きく、
次への一歩を踏み出せなくなることがあります。

「たくさん失敗しよう」が果たせぬまま、
「一度失敗したから成長した!」と自分を慰めて妥協し、
スローガンで終わってしまうのはやむを得ないことかもしれません。

まとめ:「たくさん失敗しよう」というスローガンを行動に結びつける

以上、
『サイドFIREの葛藤:「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由』についてでした。

まとめです。

ーーーーーーーーーー

失敗信仰:「失敗の科学」「失敗はサイエンス」
→”失敗を恐れず挑戦することの重要性”を説く言葉には説得力があるが、”実行に移すのが非常に難しい”という現実

「たくさん失敗しよう」がスローガンで終わる理由

 ①失敗に対する恐怖は本能的なもの

 →失敗を恐れる気持ちは、人間の本能や社会的な影響によるもの
 ②「たくさん失敗しよう」の曖昧さ
 →
「たくさん失敗しよう」という言葉に具体性が不足している
 ③「成功至上主義社会」の存在
 →
”成功につながる失敗”だけが賞賛される環境
 ④成功した人の「失敗談」が美化されている
 →
たまたま成功に行き着いたのが「失敗信仰」を布教する成功者
 ⑤失敗の受け止め方に慣れていない

 →成功者以外の人間は、「失敗を乗り越える経験」に乏しい

ーーーーーーーーーー

「たくさん失敗しよう」という言葉が目に留まることはあっても、
行動に移そうと決心しても、
実際にそれを行動に移すことは難しいものです。

失敗に対する本能的な障壁があり、
あまりにも曖昧で再現性に乏しい結果論であれば、
当然の話でしょう。

しかし、
本記事で挙げた問題点に向き合い、
具体的な方法に落とし込むことで、
失敗を成長への糧に変えることが可能だと考えています。

「たくさん失敗しよう」というスローガンを行動に結びつけるためには、
何が必要なのでしょうか?

次回の記事では、
この矛盾を解消し、
失敗を楽しむための具体的な方法を紹介していきたいと思います。

次回、
『「失敗しろ」というスローガンを行動に結びつける方法』についてまとめていきます。

その他、
「サイドFIREの葛藤」シリーズの記事を沢山書いています。

※是非読んでみてください

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